藤井風を語る真夜中

風という病に侵され…語らせたまえと願った。

lonely people

初めてペンを持ってる風っちを見た気がする。歌詞を生む最初は、入力じゃなく手書きなのかな。

次のアルバムの生みの苦しみ…きっとどこかの誰かも、何らかの苦しみにもがいている。ひとりひとりは孤独でも、寂しくても、一緒にもがく誰かを思えば、ひとりじゃない。『共にがんばろ.』という言葉の優しさよ。

あたたかいなぁ、風っちの心は。

深い眼差しを見ていたら、小さなストーリーが浮かんだ。

 

危険なんだよ、俺ら誰でも。ひとりぼっちだと思い込む時には、恐ろしい断崖に立っている。一歩足を踏み出したら、楽になれるような気がしてしまう。この崖を進んだら、もう苦しまなくていいのかな…。

断崖の反対側には芝生があって、ピアノを弾きながら歌う人がいる。わしはこんな気持ちで歌っとるよ、あんたをひとりにしないために歌っとる。負けるな負けるな、って伝えたいから、わしは本気で生きる。本気でピアノに向かう、本気で歌う。青臭くても、ダサくても、わしは本気。それを見て聴いてくれるあんたは、どうなん? わしを見て本気になってくれたら、ほんまに嬉しいんじゃけど。

そがぁに恐ろしい所におらんで、もっとこっちにおいで。

勝たんでええけぇ、負けるな。負けんってことは、他人(ひと)のせいにしないってことやで。原因も結果も、幸せも不幸も、全部自分のせい。自分が決めて、自分が選んだこと。だから、自分次第でやり直せるんやで。生きてるだけで、何度でもやり直せる。

一緒に歌おうや。歌ったら、ちょっといい気分になるで。そしたら寝転んで一緒に昼寝しよう。目が覚めたら元気になっとるでぇ。元気になるまで自分を大事にしてあげような。

 

誰かを元気にするために、彼はどんなに苦しむんだろう。もがいてあがいて、誰かの心に刺さる曲を生み出そうと必死に生きている。跳ねたボールを取りに走るのも必死。うどんを食うのも必死。かっこつけが無くて、やるべきことに集中する人間は、いつだって必死なんだよ。

だからさ、彼を見ていると、いじらしくて健気でたまらないんだよ。さらりと飄々(ひょうひょう)と見えるけど、一生懸命なんだもの。泣けるくらい一生懸命な姿を見て、ああ、自分は何なんだと。清洌な滝に打たれるみたいに、見えない力で全身をぶっ叩かれる。

清らかで一生懸命で、でも自ら我々と同じ場所でもがいてくれる…そんな藤井風に、甘えながらぶっ叩かれる。風は彼自身でいるだけなのに、その姿が俺を叱りつけてくれる存在でもある。なんだよ、まるで理想の親みたいだな、風っち。限りなく優しくて、真っ当に厳しい。

弟みたいなのに、親みたい。むちゃくちゃ自然体でかわいいのに、気高く澄んでいる。こんな不思議な人を、見たことがないんだよ。

 

俺もlonely peopleだという自覚がある。だから風っちの明るさに、勁(つよ)さに惹かれるのだろうか。人の悲しみを丸ごと抱えてくれるような明るさ。だから本人はちょっぴり寂しい顔をしたりする。周囲の人々の気持ちが全部わかる子供のままで大人になったんだよな。

寄り添ってくれる人がいる幸せに満たされて、自分も誰かに寄り添える人間になりたい、と思う。なれないなら、なれるまで断崖絶壁に立ってろよ、ただし落ちないで。

 

風っちの投稿に刺激された、夜明けの戯言でした。妄想力過多だとお笑いくだされ。