藤井風を語る真夜中

風という病に侵され…語らせたまえと願った。

NHKまとめ①

NHK MUSIC SPECIAL『藤井風、届け世界へ』

レポというより自分のための覚え書として、振り返っておこうと思う。

まず、全体の流れを整理しておきたい。

 

NHKドキュメンタリー特有の構成なのか、最初の4分間は全体のあらすじを示す内容となっている。この冒頭で流されたシーンや話した言葉などは再度出てくる。つまりこの導入部はごく短いダイジェストになっている。

どうして同じシーンを二度流すんだよ?視聴者を信用してないわけ? なんて思うこともあったが、今回「冒頭部分はダイジェストなんだ」とやっと認識した。こんなアホは俺だけだと思うけど、いちいち整理整頓しないと、何が何やら混乱したままなのだ。

以下、NHKプラスの映像を見ながら記述しております。

 

まず映るのは、日産スタジアムを駆け回りながら、アカペラで『優しさ』を歌う風っちの姿。

強い雨が降っている。

『2021年9月4日』午後1時、同時刻の世界各地が映され、『世界中の人々が、その男の歌声に耳を傾けた』『巨大スタジアムの中にピアノ1台、たったひとり』『その人の名は、藤井風』

 

その姿は無料で配信され、SNSの世界トレンド1位に。聴き入る海外ファンの様子も描写。去年1月にメジャーデビュー。武道館ライブを成功させ、ストリーミングは1億回を突破。瞬く間に注目のミュージシャンとなった。が、メディアにあまり登場せず、謎に包まれた存在。今回初めて密着取材が許された。

ありのままを見せてくれた。中学のユニフォームで走り、ヘアターバン姿でリハを行う。そしてふるさと・岡山へ。そこで自らのルーツ、音楽への思いを語る。

『ピアノ1台、たったひとりで挑んだスタジアムライブ。そこには、愚直に、貪欲に、そして純粋に、自分の音楽を世界に届けたいと願う、24歳の若者のひたむきな姿があった』

走る風っち、汗をかいた身体で『先へーー(燃えよ)』と声を出す。ここまで4分。そしてタイトルが出た。

 

NHK MUSIC SPECIAL

藤井 風、届け世界へ

Echo throughout the world

 

ここからが本編。

つまり、ダイジェストで「この番組はこんな内容ですよ〜こんな言葉も言ってますよ〜よかったら見てね」を示さないと、風ファン以外には通じない。まず風っちを紹介し、彼についての番組だと告知する時間が冒頭の約4分。そこからの約40分が本編。

そうやって、おもむろにドキュメンタリーは始まったのだ。

 

以下、TVの映像に、勝手なこちらの思いを重ねながら書いていく。

長くなるので、途中で分けると思う。よろしく。

 

密着取材のスタートは8月。リハが始まっている。風っちがスタジオに入ると、エムスラの谷田さん、YAMAHAの水谷さんもいる。

「みんな鬼仕事してるわ」まずはみんなの仕事っぷりを感じる風っち。自分のことでいっぱいいっぱいな時でも、周囲の動きをよく見ている末っ子気質。みんなの仕事を賞賛、ここから始まるのが藤井風だね。

水を飲む。2リットルのペットボトルを飲み続けるのだから、雑菌よけに口を付けない飲み方が正しい。コッペパン…潰れてなくてよかったね。甘そうなパンとプロテイン飲料。風っち…子供舌でがんばるとこもたまらんぜよ。

 

『普段の風は、どこにでもいそうな、ごく普通の若者』そうかぁ? あんな美青年、めったにおらんよ。でもまあ一見普通に見える…ってことで。

『しかし、ひとたび風がピアノに触れると、空気が一変する』『力強く鍵盤を叩きながら自在に歌う弾き語り。そこには風ならではのグルーヴが溢れている』

そんな風を見出したのは、マネージャーの河津知典、とずっずさんにカメラが寄る。インタビューまでされてる。イケメンマネージャーだなぁ、相変わらず。最初に風を知ったのは2017年冬。「声がいい、めちゃくちゃ声がいいと思って。ピアノも当然上手いなと思って」

風っちはYouTubeの中にいた。12歳の頃から、洋楽に昭和歌謡、J-POPからアニソンまで、100本以上の動画を投稿。

 

しかし、『アダルトちびまる子さん』で身に付けてたネックレスを今もずーっとしてるって誰が信じられる? 別にネックレスなんて1本あればいいじゃん(とは風っち以外、誰も思わない。アレもコレも欲しいのが普通の若者だ)… しかも風呂用のチェーンで手作りした…リアルな伝説か。決して「普通の若者」ではないよ、逆に。逆に普通じゃないっす。うむむ、もしも新しいネックレスを身に付けたら、それが風民的大ニュースになること間違いなし。こんな人いる?!

風っち、もし「同じに見えるけど、実は何本も持ってるんやで、ワシはオサレさんなんやで」と言うなら教えてくれ。認識チェンジするから!

 

ここで、風っちのルーツを辿るため、里庄町へ。

ミッチャムの椅子に座って語る風っち。すでに “ここしかない” という背景を持っている風っちが強い。何と美しく馴染んでいることか。

 

茶店を営む両親のもと、4人きょうだいの末っ子として生まれ、3歳からピアノを始めた。オトンが仕事の合間に、2階のチープな電子ピアノ(笑)で教えてくれた。同じく英語も。ちょっと拗ね顔した幼い風っち。Prince kidsだね、まさに。ピアノと英語が大好きで、学校から帰ったら外に遊びに出ることもなく練習に没頭。

 

茶店にはあらゆるジャンルのCDがあり、絶えず音楽が流れている環境で育った。ある時、姉が聴いていたMJに衝撃を受けた。MJをちゃんと聴き始め、「1曲1曲がすごいクオリティ高くて、一切無駄のないつくりのアルバムだなということに感銘を受けて、自分もそうしたいなって。その出会いは大きかった」

「(初めてのオリジナルの曲づくりは)小4とか。すごいJ-POPみたいな曲を作った記憶が。中学から、将来英語がのるであろうメロディみたいなものを作っていった」

 

そして19歳の時に作ったのが『何なんw』

メロディから作り、メロディに呼ばれる言葉を探す。「ワシ」も、自分のアイデンティティを出そうとか思ったわけではなくて、言葉のスピード感。シャシャシャ!っていう。あの曲のグルーヴ感には岡山弁が必要だった。

ここ、なるほどな〜と感動。ワシのスピード感!(笑)確かに曲に対して僕や俺ではもさっとする。いやぁメロディに詞を合わすという曲づくりが、風っちの魅力の源泉なんだな。

 

ずっずさん「絶対 “こいつ” だ」「こんなオリジナル曲をいきなり書けてる、すでに書けてる。この子はすごいんだと思った」

ハイ、「絶対こいつだ」いただきました! そりゃもう惚れ込むよね。

 

そして、武者修行のようなNY行き。

「いつかNYに求められるような存在になれたら一番いいかな、とは思ってる」その時の風っちの言葉。今も同様の気持ちかな。NYが非常に似合う人ではあるけれどね。

末っ子にピアノと英語を教えたオトンさま。海外で活躍する未来を思い描いていたのだろうか? ピアノも英語も藤井風の財産そのものだけど、それを駆使して世界に飛び出る未来図が、オトンさまの夢だったのだろうか。

「東京やこー行かんでええ」と言われていたオトンさま。本当は風っちをずっと手元に置きたかったのでは…。ずっずさんと出会って、この人になら託せると思うまで、上京さえ許さなかった。

 

ずっずさんの最初のコンタクトに対して、風っちは「もうすでに音楽業界の方々からお声がけいただいているので、これ以上の連絡は結構です」と答えたとのことだけど、これは、選択肢を増やす気はないという断りの意味ではなく、どこから声がかかっても、オトンは東京行きは許してくれないから駄目なんすよ、という意味だったのではないだろうか。

そこを諦めずに岡山まで出かけ、その日のうちに里庄へ、それからも何度か通ってオトンさまの心を掴んだずっずさん。熱意と確信の説得で、風っちを連れ出したんだな、きっと。

 

だけど、掌中の珠だったに違いない、家族中でかわいがって育てた末っ子を、どんな気持ちで送り出したんだろう。両親と一緒に暮らして、ピアノを教えたり、音楽活動もしながら、地域で活躍する存在になる…そんな未来だってあり得たはずだ。

 

藤井風がメジャーデビューし、どんどん大きな存在になる、この世の必然だと思っているけれど。俺には風っちの音楽がない人生はもう考えられないけど、そのためにオトンさま、オカンさまはご自分たちの幸せの一部分を犠牲にしてくださったのではないかと。

ミッチャムのピアノを弾きながら、ここで幸せに生きる道だってあったのに。そんな人生を、みんなのために生きる人生へと広げてくれたご両親、風っち、ずっずさんを思うと、涙が溢れてたまらない。

俺たちの幸せは、里庄のご両親のおかげだと、心から思う。オトンさま、オカンさま、本当に本当にありがとうございます。

 

武者修行訪問、そして『何なんw』MVの撮影もNYで行い、2020年1月メジャーデビュー。

しかし、デビューした直後、世界はコロナ禍に。さまざまな活動がキャンセルとなる中、もどかしさや不安はなかったか?との問いに。

「…ん〜それが、なかったんですよね…アーティストとして活動していくのがどういうことなのか知らなかった、というのも大きいけれど、ただただ自分を通して出てきてくれた作品が、いろんな人に届いたら嬉しいなっていう思いだけがすごいあったんで。それはコロナだったからといって言い訳できるもんじゃないというのが自分にあるんで」

風っちは覚悟の人。そして、さすがはYouTube育ち。音楽が伝わるのに、コロナなんて関係ないことを、実感として知っている。

ライブができない残念さはあったに違いないけど、主戦場にできる場所はいくつもある。ずっずさん、どうやってやろうかと戦略を練り直したことだろう。

 

全ての楽曲、MVをYouTubeで視聴することができる。目先の利益ではなく、風の音楽を知らしめることに注力。無料アプリを公開、手っ取り早く収入になるファンクラブも設けない。コロナと戦う中で、いきなりの武道館。ホールツアー。ドラマとのタイアップ。CMとのタイアップ。日本代表としてGQに登場。そして無料ライブ。無料配信。2年目にしてアリーナツアー。ライブ後のTVラッシュ。なんとまあ、見事な采配。コロナ禍でのエンタメの在り方を示しながら、新人にして業界の最先端を走る。

しかし、無理に焦ったような動きはなく、ゆっくり着実に歩みを進めてきた印象しかない。

そりゃあ風っちだもん、必ず爆発する時が来るし、もう来てるのかも知れない。それでもまだ…今はまだ、帰りたくなれば里庄に帰れる風っちでいてくれ、と願う。ロケバスから手を出して、いつまでも振ってくれる風っちでいてほしい、と。(風民さんの遭遇体験を紹介してもらった)

 

ここで一旦【つづく】にさせてください。