藤井風を語る真夜中

風という病に侵され…語らせたまえと願った。

沐浴

赤ん坊を入浴させることを沐浴と言うらしい。きっと自分も沐浴してもらってたんだろうな(記憶がないのが残念だ)。

昨夜インストにアップされた入浴してる男子、赤ちゃんに見えた俺はもう色々オカシイ。

長い睫毛でニヤッと笑って。可愛い可愛い言われながら洗ってもらってたねあの子。

気持ちよくて眠くなってる赤ん坊。

考えたら風っちは「水」と相性いいんだよね。MVにもよく水との絡みがあるし、ツアー中に上げてくれた写真も泳いでたり飛び込んだりして海と戯れてた。インドではおそらく浄化儀式として水に入っていたし。

そんな風っち、デスクワークとは?(笑)とみんなをザワザワさせて。でも気にしなーい!何なのか言いたくてたまらんのだろうけど、言える時まで待つのみなのだ。

 

先日の『第15回CDショップ大賞』の授賞式でのコメントで重要な話をしてくれていた。

ショップ店員さんからの質問「作品に込められている“自分を愛する”という考え方は、どうしたら実践できる?」に対し、風っちは「いやー難しい…僕もまだ探してる途中ではあるんですけど」と言いながら、次のように答えていた。

「すべては自分次第ということを知ること。自分の思い、言葉、行動とかで、自分が見る、自分が感じる世界って決まってくる」

「自分にはそれだけのパワー、力があると、まずみんなに自覚してほしいし、自分も自覚していきたいし」

自分を愛する=すべては自分次第だと知ること。

いやーーー凄い。凄いよ風っち!!改めて感動しかない。

自分を愛する=ナルシスト(正確にはナルシシスト)になるってことじゃない。いわゆる自己愛とは異なる。風っちはあの容姿だからナルっぽい奴かと誤解されたり、我々には甘やかすような言葉をかけてくれるので、愛する=甘やかすと勘違いする人もいるかも知れない。

みんな大変な生活を送り、社会はグダグダ、世界は乱れに乱れてる。そんな日々を生きる自分を、もっと大切に、もっと甘やかしていいんやで…そんな気持ちもあるのかな?と俺は受け止めていた。

 

風っちの真意はそんな浅い気持ちじゃなかった。『すべては自分次第』こんなにも強い、晴れ晴れとした、決然とした言葉があるだろうか。

良いことも悪いことも、自分次第。自分の思い、言葉、行動が、(自分に見える)世界を作っていく。

最善の意味で、自業自得。因果応報。

他者のせいにしない。世界が、他人がどう見えるのか、それは自分次第。

だから風っちは『鏡』だと言う。自分の心がそこに映っている。みんなが可愛く見える自分なら、ちゃんと自分を愛しているということだ。

社会や他人が醜く見えるなら、それは自分への愛が足りないのだ。

 

自分には自分次第で“変えていける”パワーがある!と自覚すること。自分の力を信じること。それが自分を愛するということだ。

風っちはステージの上から、みんな気づいてや!みんな凄いパワーを持ってるんやで!そのパワーはみんな一緒。君も僕も何も変わらないよ。と、我々の自覚を促してくれていたんだ。

説教くさいことは言わず。ただ自身のパワーをみんなに送り伝える姿で。

 

自分がイヤになる時。嘆きや恨みに閉じ込められたような時。風っちの信念の美しさを思おう。あの強靭な美しさを。

この世界がどう映る“目”なのか、“心”なのか。

ああ、風っちと同じように世界を見たいな。今日も明日も、LASAのような世界を感じていたい。自分の内部がLASAカラーであるような人になりたい。

 

またまた風っちは大事なことを教えてくれた。

誰のせいにもしないから、周りには感謝しかない。誰のせいでもないから、すべてはgrace。毎日がまつり。ずっとそう言って我らの手を引いてくれた。

 

沐浴してる赤ん坊👶でいて深淵なる哲学者。

何て凄い人なんだろうなぁ…と天を仰ぐ夜。