藤井風を語る真夜中

風という病に侵され…語らせたまえと願った。

今さらHEHN語り③

2️⃣ もうええわ

このタイトルに笑うよね? …ホンマに穴があったら落ち込みたい。しばらく穴落ちしようかと思ったけど、とりま『もうええわ』しておこうかと。

 

俺はこの曲のMVが大好き。役者・藤井風を堪能できる(2人の青年、別人にしか見えないよ!)し、ホームレスに “解放” を見る視点もいい。ホームレスの仲間として登場する方々も、何と味わい深いことか。絶妙な人選。

印象的なピアノのイントロから、風独特の力を抜いた声がゆらゆらと歌の世界に誘う。

夜更けから明け方までの街をふわりと歩いていく。気怠い雰囲気の中に、微かに射す希望の光。要らないものを見極めて捨て去って、自由になるんだ。風の音質によく合うメロディが心地よくカラダを包む。

ちょっと、今は特に歌詞が刺さりまくって痛いったらない。倒れそうや自分。

一番好きなフレーズ「何が大切なん? よう選んで」を、しっかり噛み締めたい。ここは岡山弁がバッチリ曲に乗って、方言ってクール!と刮目させてもらえる一節。

MVは、不要なモノ、捨て去られたモノの視点から主人公を見つめるシーンで終わる。

サヨナラ、(俺の)ゴミたち。軽くなった心身で、さぁ朝を迎えよう。

 

この曲、しみじみといいな〜と思う。

『もうええわ』と対になるのかな、『燃えよ(もうええよ)』が楽しみ。またどんな世界線を見せてくれるんだろう。

 

 

先日から柄にもなく“時事問題” に口出ししてしまい、多くの皆さまに心配をおかけしました。

尋常とは異なるアクセスに驚いてしまい、それを書いたら自慢かと思われたり。何人かの方を激怒させるハメになってしまったり。

好意的なご意見には励まされましたが、批判も山ほどだろうと自覚しております。

何よりも迷惑をかけたくない人に申し訳ないので、まだモヤモヤしてる人には土下座させていただき、これにて打ち止めとさせてください。

このブログのコメント欄は、掲示板ではなく、俺個人への語りかけだと思っているので、個人的レスをしたつもりでしたが、個人レスの範囲を超えて一般論まで言及したために、ややこしくしてしまい、この点は猛省しています。

お怒りのコメントも拝読しましたが、どの声も、藤井風の音楽を守りたい、音楽家・藤井風を尊重したい、という思いで言われていると受け止めました。今後、一人一人がどんな形で風の音楽を楽しむのか、考えるきっかけになれば、と俺も思います。

一連の流れで不快な気分になられた方には、心からお詫びします。そして、ご心配くださった方々には、心からありがとうございました。

 

 

関口くんの歌にビックリ! それに見事なハーモニーを重ねる風にビックリ! ステキな仲間だよね。

この撮影はスパイキー監督。そうだ、関口くんはスパイキー組だった。あの髪型の風を撮影した時に撮ったものだよね。日産スタジアムに向けての集合かと勘違いしてました。相当、脳みそにダメージ食らってるみたい…。

速攻でコメント欄で訂正してくれた方々、感謝です!

風の表情が、この猛暑を乗り切るパワーになってくれるのは間違いないね!

コメント欄の方へ

深夜に投稿してしまうのが悪い癖なんだけど…昨夜は投稿後も慌てふためくザマとなり、今日は仕事中も半分うわの空。

1日のアクセス数が2万5千人を超えビックリ…。普段の訪問者は大体3〜5千人程度なので、ちょっともう笑うしかない? 

6月18日に開設して、アクセス数が10万を超えたら皆さまに報告しようかな(必要ない?)と思っていたが、今日あっという間に11万5千人超え。

多くの人が心を痛めたり、気持ちをザワつかせていたことを知った。

もうね、この話は終わり。みんなポジティブな方向へ切り替えて進もう。本当にそう思ってほしい。

 

だから、以下に書くことは、切り替えた人には無用な話。この手の話は、あまり深掘りしても楽しくはない。ただ、コメント欄にいただいた声に気になるところがあったので、コメントへのレスとして書かせてもらいたいと思う。

 

共感や賛同の声を寄せてくれた方々ではなく、納得がいかない思いを書いてくれた方へのレスとなります。コメントをくださった皆さんお一人お一人、本当にありがとう。

 

マオさん。

俺はあなたの言う意味は、よく分かってるつもりです。あえて、その言葉は書けなかった。

結局、今回の問題も「それは風のためにならないやり方ではないか」「私にはそんなやり方は正当とは思えない」がスタート地点であったと認識しています。

そのネーミングを、俺は書く気になれない。あなたの拒否感と、もしかしたら同質かも知れないね。○○ループ再生という言葉は、俺の神経には耐え難い。

こんな応援のやり方もある。主催側の判断でも違法でもない、正当な方法のひとつ。自分の生活上の必要な環境を守りながら、サブスク再生回数に貢献できる方法。俺はそれを否定する気は全くない。

ただネーミングが刺さるだけで。家の中で一日中 “音楽” を流し続けるのが難しいから、そういう方法もOKなんだと思う。でも俺は、そのネーミングには心が泣く。他の言い方があるやろ? 誰か考えてや。

実際には風の曲を聴いてる時間も長いはずなのに、その言葉のせいで、随分機械的な方法みたいな印象になってしまう。

だけどさ、その方法もあるよと紹介してる人の気持ちは、本当に藤井風を応援したいという一心だよ? ファンならば、その気持ちの尊さは分かるよね。

そのネーミングにショックを受け、いやそれは風さんのためにならないのでは…と思った人の気持ちも分かる。風とその曲を尊重するからこそ、拡散しては良くないのではと思ったのも、また尊いファンの気持ちだよね。

つまり、人の思いはそれほどに異なる。

 

ここで一番問題なのは、「どっちの味方につくのか、風に決断してほしい」と望むことだよ。これは、ファンとして絶対にNGな視点だ。

ファンが風の取り合いをするのが、一番の悪手。

ファンにはそれぞれの感覚があり、思いがある。それは時には論争にもなるかも知れない。だけど、ジャッジを風に求めたらダメだ。

風にとっては、みんなが大切なファン。誰を認めて誰を排除するなんて、風には絶対にできない。あの人にそんなこと、させられるか?

ファンがやってはいけないこと、それは風の綱引き。

みんなを一人残らず大切に思ってくれている人に、こっちの味方になってほしいなんて、そんな残酷なこと…引き裂かれてしまうよ。

 

ミュージシャンでも、人によっては、ある種のファンを叱ったり苦言を呈する人もいるかも知れない。だけど、藤井風はそういう “オレ流” な説教なんてしない、したくない人だよ。

みんな自由、みんなステキだよって、一人一人を全肯定して、丸ごと認めてくれる人だよ。風の歌に包まれる人は、風と同じ。境界線は消えて、風と一体になれるんだ。そんな人に、あっちを叱ってよ、私の意見を認めてよ、なんて迫るの? みんな風とひとつになれる仲間なのに。

 

ファンの分断は広がるばかり、と書いたFlowerさん。本当にそうだろうか? 俺にはあなたが「ずるい」と表現してるので、風のファンなのかどうかが分からない。風のどこがずるいんだよ! 誰にも傷ついてほしくないという風の気持ちが分からないなら、ファンだとは思えない。悲しいよ。

白黒つけるべしという世界線と、藤井風とそのファンが生きる世界は別物だと思う。世の中、白か黒かハッキリ答えが出るようなことなんて、ごくごく一部だよ。

ましてや、風に白黒の答えを迫るのは間違い。白も黒もいいじゃない、自分の好きなやり方で、みんな自由にね、優しく。という人を、どうかどうか大事にしてくれよ。

 

マオさん、Flowerさん、まだ気持ちの落ち着き先がないかも知れないけれど、お願いだから、藤井風を心配させるのは、もうやめよう。

俺もこの件に触れるのは、これでおしまい。

自分の傷は、互いに自分で治すしかない。藤井風に治してもらおうとするのは、間違いなんだよね。

元気出して、明るい気分で、自分なりのやり方で楽しもう。他人のやり方は、その人の自由。そう決めればいいんだよ。“そうじゃない!” と思う執着を手放すんだ。藤井風の音楽が好きな人なら、それができるはずだ。

実際に「これはマズイ」とか、特定の方針に関わる問題なら、風サイドから公式見解やお願いが示される。これまでと同様に。だからそれ以外を、俺らファンが気にする必要はない。何も気にせず、自分らしく楽しめば大丈夫。

 

長々と、失礼な話ばかり、すみませんでした。

もしこの文を読んでくれたなら、これに対してのレスはもう忘れてください。

どうかこの気持ちが少しでも通じてくれますように。

 

閑話休題

今夜、ちょっとザワザワした気分になって、HEHN語りを休み、別の話題に触れてみる。

触れるのは余計だよ、という内なる声も聞こえるけれど…藤井風のファンとして考えておきたいこと、確認しておきたいことがあるのだ。

 

俺はついに、藤井風がファンに対して謝ってるツイートを見てしまった。なんかもう胃が痛い。誠実な人は必ず自分を責めるんだよな。

あの、全方位に優しい、配慮のかたまりみたいな人に、「配慮が足りなかった」なんて言わせてしまった…。

自分を応援したいと頑張ってくれてるファンに、心から御礼を伝えたかった。だからツイートしてくれた。みんなありがとう、でも、あんまり無理しないでね…という気持ちを込めて。

ただ、我々ファンというのは、ファンとしての立ち位置も応援のスタンスも家庭環境も、何もかもが個別であり、各人の思いで動いているもの。風の音楽を好きでも「風を応援する」というスタンスでは無いファンもいるし、いて当然だと思う。一方、ファンになったからには、色んな形で応援したい!と思う人がいるのも当然。

ファンは “みんな違って、みんないい” の精神で、スタンスは違っていても、互いのやり方を認めていくしかない、ってのが結論だと思う。

 

今、多くのミュージシャンの周辺は、サブスクの再生回数を増やそうと熱心に運動している。中には、回数に応じてファンに景品を配るミュージシャンや再生してくれる人をバイトで雇う事務所だってある。世の中には、それが売り出しの第一歩になるミュージシャンだっているのだ。

藤井風はもうそんな位置にはいないけれど、それでも自分の音楽のために、サブスクを聴くという形で応援してくれるファンに、純粋に御礼を言いたかった。そこには、ただ好きな曲を聴く人もいれば、再生回数を目的として頑張る人もいる、こういうやり方もあるよと呼びかけている人も。

だけど、ファンの中には「再生回数で応援する」というのが違和感な人もいる。それもその人の自然な気持ち。ただ、その気持ちをツイートすれば、ファンがファンを批判しているかのような構図になる。自分の違和感を語りたかっただけだとしてもね。

みんな、それぞれ違うのだから。私はコレがいいけと、あなたはソレがいいんだね、互いに違うけど、同じように藤井風を大好きなんだよね。と認め合うしかない。

コレで行くべし!とか、ソレはよくないよ? とか言い出したら、ファン同士の対立みたいになる。それを見て辛い思いをするのは風だよね。一番大事な人を悲しませるなんて、誰も望んでいないはず。

「ファンの人(の一部)を傷つけた…」という思いを【助常傷無】の人にさせるなんて、あってはならないよね。

 

藤井風って、(当たり前だけど)ソロの歌手だよね。ソロシンガーって貴重だよ。ファンにとってもありがたい存在。

俺の友人は、とあるグループに “推し” がいるけど、推しの子よりも、同グループの嫌いな子について語る時間の方が長かったりする。箱推しと呼ばれるファン以外、同じグループの中でファン同士の争いや誹謗中傷は絶えない。誰もが知っているグループの中でも、恐ろしいくらいのファンの対立があったりする。

そういうグループやバンド活動でなく、ソロシンガーである藤井風には、余計な争いは本来ないはず…だけど、ファンが「風の気持ちより自分の気持ち」優先になってしまうと、時にはギスギスしてしまう場合もある。それは、互いに避けたいよね。

 

みんな、藤井風って人が、どんなにファンを大事に思ってくれているか、愛してくれているか、よくよく分かってるはずだ。

今は9月4日に向け、また、アルバムの準備やら録音やら各種の撮影やら…真っ赤な日焼けをした身体で(泣)めちゃくちゃ忙しく動いてくれている最中。そんな中で、わざわざファンに御礼を言ってくれたのにさ。後悔させるなんて。

風の気持ちだけを受け取って、自分なりの思いが湧いたとしても「風が読んだらどう思うだろう?」を基準に、全てを考えたいなと思う。

 

風ファンはオトナな人が多いから、そんな騒ぎになるわけではないにしても、誰かの心がちょっとでも傷ついたら、風が悲しむ。

みんな、自分の好きなやり方でファンをやりながら、嫌いなやり方でも許し合って、認め合って行こうよ。何も強要せず、否定もせずに。

 

俺なんかが生意気に、ホントに申し訳ないけどさ、せっかく唯一無二のソロシンガーのファンになれた我ら、全員が藤井風しか見てない(あ、中にはずっずさんファンもいるか)のだから、その幸せを享受しようよ。ソロのファンって、すごく恵まれた平和地帯にいるんだから。笑

 

ファンの幸せしか願ってないような人のファンなんだよ、我々は。風のためにも、互いが幸せになること、楽しくなることだけにフォーカスしよう。

気に入らないことがあっても、まず自分から忘れよう。風の言う通り、ポジティブなことに時間を使って、楽しい風ライフを送ろうよ。

 

と、まあ長い閑話休題です。ごめんね。

この文で、誰かを非難したり責めたりする意図は全くありません。文意が至らず、嫌な思いをされた方がいたら謝ります。

どうか、風ファンがみんなみんな、幸せでありますように。

 

今さらHEHN語り②

1stアルバムHEHNに収録された曲には、いくつかの顔がある。アルバム中の音源としての顔。MVになっている曲には、映像を通しての顔。そして武道館で披露され、Blu-rayで観ることのできる顔。加えて、配信で披露されたフルではないバージョンの顔もある。

武道館Blu-rayについては、それ単体で語りたいので、ここでは音源としての顔に、MVを交えながら感想を書いてみたい。

解説も分析もできないので、ホントに単なる感想だけ。それも歌詞中心になる。曲と歌唱については表現が難し過ぎて、俺なんかの手に負えない。

皆さんの中にある感想と近いかどうか…自信はないけど、よかったら読んでやってください。

 

1️⃣ 何なんw

俺がこの曲に触れたのは、アルバムより先にYouTube上で観たMVだった。曲と映像がこんなに合う?と言いたくなる完成度に驚いた。一編の映画みたいだ。むちゃくちゃカッコいいお兄さん(年上だと思ってた)が、何の違和感もなく、画面の中で演じ歌い踊っていた。これがデビュー作だと?嘘やん!…もうワケわからん感覚。

YouTubeには、この曲とMVを自ら英語で解説する動画もあり、その画期的なやり方にもビックリ。最初から藤井風は驚愕だった。

 

岡山弁で描かれたハイヤーセルフの呟き。完全に藤井風固有の世界観。デビュー曲としてこれ以上ない「藤井風」と大きく署名された名曲。

 

ダメな方向にダイブしてしまった経験、猛反省して二度と失敗しないと誓った経験、なのにまた堂々と同じ失敗を繰り返した経験…誰にでもある経験の裏に、そんな自分を止めようとしたハイヤーセルフがいたことを、風は教えてくれる。誰より自分を愛して見守っているのに、邪険に扱われるばかりのハイヤーセルフが。

風は、もっと自分を大事にしようと歌う。誰よりも自分が自分を愛そうよ、内なる “動機が愛” の存在を無視しちゃいかん。目を閉じて集中し、自分を幸せへと導く声を聴こう、と。

 

MVには、この世界観が見事に視覚化されている。朝起きて、ちゃんと瞑想もして、歯も磨いてるのに、まだ青さ粉が取れてないことに気づかない男。今日もハイヤーセルフは「あ〜あ」と思いながら、男を見守っている。

みんな(世間)に見てもらえ!とばかりにハイヤーセルフは男を押し出す。世間は遠慮会釈なく青さ粉を指摘して、もっとキレイにしろと男を責める。男はちょっとデンタルフロスで磨いてみるが、その場限り。“動機は正義” な、白い服を着た人々に強要されても結局立ち直れない。また肥溜めに飛び込んでしまう。ずっとハイヤーセルフは側にいるのに、気づかず聴こえず無視してしまう。耳をすませば、本当は聴こえているのにね。

自分への裏切りはもうダメだよ、と優しく諭してくれる声を聴けば、道を間違うことはない。

MVで、男が足をもつれさせ、道路に倒れるシーンがある。演技とするなら名演技。歌いながらステージで転ぶのが定番になってるのは、このシーンの再現。もつれながら、ヨレヨレになりながら男は歩く。が、最後はハイヤーセルフと踊る。そうだよ、一緒に楽しく踊りながら進むんだよ。白だったり黒だったり、世間は勝手に変化するけれど、それに負けず、ハイヤーセルフと踊るんだ。この人生を楽しく。間違えないために。

 

藤井風の曲の原点にして結論のような曲。風は、こういうことが言いたくて歌う人になったんだ。と思える、金字塔のようなデビュー曲。

 

一曲で、こがんなごぉなってしもぉて…ヤバ!

ちょっと今日はここで力尽きる感じ。先が長過ぎる…がんばれ俺。

 

俺は下書きとかはせず、その場で思うままに書き散らしてるだけなので、色々勘違いやNGな表現があったら、ホントにお詫びします。

ご指摘があれば、ここのコメント欄か、kiyohisa0919と名指しでTwitterで呟いていただければ幸いです。

その日その時の思いで書いているため、別の日にはまた別の思いが湧き上がることもあり、完結した文章にはなっていないかと。あくまでも個人的な放熱録(造語)であると、再度断らせてください。読んでくださる方々には、申し訳なくもありがたく、心から感謝しております。

ではまたね。

 

【追記】(7月27日 10:00)

書き忘れていたので追記。

前回の記事の終わりに、つい取り乱してしまった山田健人監督と風の写真なんだけど、あの後、また写真が投下されて。鉄塔のある屋上で、随分と楽しそうな監督と日焼けで真っ赤になってる風が…。いや、めちゃくちゃヤバイよ、発熱するレベルだよ、マジで心配になる。

最初の写真は以前撮ったものかと思っていたが、ごく最近の撮影なんだね? ホントに危険な状態だとしか思えない。日焼けは軽く見たらアカン!

まさに火傷(やけど)と一緒。大丈夫なのか、生きてるか風!? と思ったけど、昨日はサブスクで曲をガン聴きしてる風民への温かいコメントがあり、とりま無事なんだと、ちょっとだけホッとした。

数時間の日焼けで、数年間苦しんだ例を知ってるので、ホントに急に焼くのはやめたってほしい。若さじゃ、若さ…とはいかないよ〜。ホントに今苦しんでると思うなぁ。

どうか、くれぐれもお大事に…としか言えないけど。早い回復を祈ります。

 

今さらHEHN語り①

そろぼち、2ndアルバムの香りが漂って来た今日この頃。…という今のうちに、1stアルバム『HEHN』の楽曲を振り返っておきたいと思う。

俺は昨年のデビューも知らず、アルバム曲にも触れずに今年の5月半ばまで藤井風をきちんと認識していなかった…という、大遅刻ファンなのでホントにしょーもな!としか言いようがないが、遅れに遅れた大馬鹿なりに、HEHNアルバムを語っておかないと、気持ちがおさまらない。

あらゆるレビューが出てるだろうし、みんなの心に定着したものがあるだろうし、今さら語る余地も無いことは承知で、1stアルバムへの自分なりの思いを語ってみたい。色々勘違いやら間違いもあると思うけど、どうか遅刻した子を憐れんで、ご容赦いただきたく。

 

これ、長くなりそうだな…。何回かに分けて書いてみるね。

 

まず、全体を聴いて感じたこと。

HEHNに収録されている楽曲は11曲。それを、歌詞の、ある特徴によって分類してみると。

 

Aグループ:『何なんw』『さよならべいべ』

Bグループ:『優しさ』『調子のっちゃって』『特にない』『死ぬのがいいわ』『風よ』『帰ろう』

Cグループ:『もうええわ』『キリがないから』『罪の香り』

 

これはどういう分類でありましょうや? 風民の皆さまには簡単過ぎるよね。

藤井風には特にこだわりは無いのかも知れない、しかし俺はかなり気にしてしまう(アホ)という意味において、このような分類をしてみた。

これは「一人称」の表記による分類。

Aグループは「ワシ」「わし」。

Bグループは「わたし」「あたし」。表記上は「私」も。

Cグループは 一人称無し。

 

これで分かるのは、HEHNには「僕」という人称を用いた曲は一つも無いってこと。世の中に溢れる「僕と君」という語りかけが一曲も無いアルバムなのである。

HEHNの曲には無いが、『青春病』『旅路』には「僕」「僕ら・僕たち」が用いられている。

「僕」は若さを象徴する一人称だ。若々しさが前面に出たこれらの曲が、2ndの「より若々しいアルバム」というコンセプトに相応しいのは当然。『青春病』はHEHNには入れないと判断した風は、全く正しいセンスの持ち主なんだよね。

それにしてもデビューアルバムが、「僕」という、ごく普通の一人称を使わない曲ばかりだというのは、かなり特異ではないだろうか。

風のデビューに際して「岡山弁」を強調する紹介もあったが、方言メインで書かれたHEHNの曲は3曲『何なんw』『もうええわ』『さよならベイベ』だけ。そのうち「わし(ワシ)」が使われているのは2曲。『何なんw』『さよならベイベ』の歌詞が強烈な印象を与えるから「わし」ばっかり言ってるように思う(誰も思ってないか)だけで、本人の話し言葉の印象を除けば、曲における「わし」率は高くない。

 

Bグループは数の多さも特徴的。「わたし」を用いていても、女性目線の詞とは限らない。公の場では、男も「わたし・わたくし」を使うのは当たり前。風の詞は、主人公が男性か女性かを超越したところがあり、楽曲に「男らしさ、女らしさ」を感じさせないという特徴がある。だから全体に「押し付け」やら「決め付け」が感じられない、軽やかさがあるのだ。

 

いかにも女性目線に聴こえる『特にない』でさえも、男の俺にも痛烈に刺さる。英語で書かれた部分が、執着への“もがき”だとするならば、俺にだって経験がある。今もヒリヒリと痛む情けなさを手放して、渇きなどないと言いたい、満たされてると言える自分になりたい。

『優しさ』『風よ』『帰ろう』…全ての「わたし」は性別を背負ってない。女性が聴けば女性が主人公に、俺が聴けば俺自身が主人公になる。『調子のっちゃって』は、“裸の王様”が男を思わせるのは致し方ないが、この曲は風が自身への戒めとして書いたからなのだろう。しかしその戒めは男女を問わず普遍的だ。『死ぬのがいいわ』は、俺には男女の掛け合いにも聴こえるんだよね。

 

Cグループは、主人公が誰なのか、主語が語られることの無い曲たち。誰の曲にでもなりうる、自分が主人公になれる曲。描かれた心情が、そのまま自分のものになる。

「もうええわ」という諦観も、「気づけばハタチは遠い過去 いや夢?マボロシ!」という感慨も、「罪」を拒絶する戦いも、全てが自分自身のもの。

 

HEHN独特の、年齢・性別を超えた雰囲気。この作者は人生何周目?と言いたくなる老成したような不思議感。全体のとろりとした肌合い。繭に包まれているような安らぎ。「わし」や「わたし」だからこそ、主人公の主語が無いからこそ、まったりとした空気感が生まれている。俺はそう感じる。

 

風が歌っているのだから風の心情、と聴こえるようでありながら、自分自身の心情に重なり、溶け合っていく感覚。「わたし」で歌われる曲が、どうしようもなく自分の心を癒してくれる感覚。「わし」の曲だけは藤井風自身を見る思いになる、卓越した一人称の使い方。

ひとつひとつの曲に込められた願いを生かすにはどんな詞が最善か。風はアタマではなく心で、歌詞を選び取っている気がする。メロディに呼ばれる言葉を探す…その探し方が半端なく天才。ナチュラルな言葉ばかりに聴こえるのに、一曲の世界観を見事に構築してみせる天才。

音楽的に天才なのは分かっていたけど、作詞においても天才。「本(小説)は読まない」と言うが、幼い頃から膨大な本に匹敵する日本語、英語の「歌詞」を読み込んで、血肉にしてきた人だ。そこらへんの読書家には負けてないよ。天才に天才と言うのもダサいが、ホントに、俺みたいな文系男子は惚れ惚れするしかないんだよなぁ。正直、羨ましい!

 

全体を見渡して感じたことを書いてみた。もう散々出尽くした意見かも知れない(何も知らんのです)が、初心者の感想として、どうかお許しください。

 

次から、個別の曲について感想を述べてみます…できるんか自分。

 

ここまで書いてアップして、さ、寝よと思ったら、ダチオ監督が写真投下してくれてた!

男2人がランニングシャツ着て。くっつき過ぎじゃありませんかね?と目つき悪くなるぜ、こっちは。んで『やる。』とのお言葉ですよ。ヤバヤバヤバ! もちろん9月4日のハナシっす。日産スタジアム山田健人監督がステージの監督と生配信の監督も「やる」んだね。素晴らし!

しかし何故か、風民…いや男の風ファンに対するマウンティングに見えるぞ。ぐやじい!!

寝る前に悔しいもん見ちゃって悔しい。寝られそうにない!!(落ち着け)

 

『燃えよ』に泣く

うわわわわ!!

ビックリして心臓が跳ね上がった。そして感動。感謝。

む、無料? 日産スタジアムで無料? OMG!!

“ Free ” の意味を何重にも折り畳んで、ただファンのために、日本のために、コロナ禍の世界のために…。こんなこと、風とそのチーム以外、誰が実現してくれるん?

芝生の上に藤井風とピアノだけ。至高じゃん。それだけで完璧じゃん。柔らかな風が、風の音楽とともに流れていく…うわぁ、天国かよ。

 

俺は、この場に、夏休みも我慢ばっかりだった子供たちと、その子供たちを辛い気持ちで見ていた保護者とを、招待してあげてほしいな…と、ちょっと思う。もちろん藤井風ファンの親子ね! 一部でいいから、子供と保護者のための席があればなぁ、と。1時間という本番の時間も、子供たちにはちょうどいいだろうし。

日産スタジアムの巨大な空間で、今は苦しく思えても、本当は何もかもが、空と地の間を渡る風のように自由なんだと、感じてほしい。感じさせてあげたい。耐えることばかりの日々でも、藤井風の音楽が教えてくれるように、君は自由なんだよ!と知らせてあげたい。

 

俺らなんかはいいねん。芝生の上、ピアノの音、風の歌と(自然の)風の音を聴く時間。むさ苦しい男より、女性や子供が似合うなぁと思ってしまう。あ、男性ファン、ごめんね!もちろん、行きたい人がみんな行けたらいいけど…配信も準備してくれるのは最高!本当にありがたい!

 

『燃えよ』って。一読して泣く。泣いちゃうよ、風っち。

風の心から生まれ出た言葉が、そのまんまで、俺らの魂を包んでくれる。風の言葉はライナスの毛布だな。安心毛布そのもの。あまり人に優しくされることのない日常で、風みたいに優しい人に接すると、心がほどけて、泣きたくなる。そして自分も人に優しくありたいと願う。

9月4日には、会場に行ける人に心から拍手を送れる自分でいよう。優しく燃える魂でいよう。

 

9月4日、横浜の日の入りは18:05。ゆっくり日が落ちてゆく様を眺めながら、風の音楽の余韻を味わいながら…より強く、優しい自分になって、日常に帰って行こう。

チーム風が提供してくれるスペシャルな時間と空間に相応しい自分たちになろう。行ける人も配信の人も。みんなで大成功を果たすんだ!

 

本当にありがとう。当日まで心配は尽きないけど、俺は燃やすよ、この魂を。汗かきながら、恥かきながら、藤井風について行くよ。マジで泣いてんだよ俺は。嬉しくて。

 

台風をはじめ自然災害も、交通関係の無事故も、何もかも祈るから、どうかどうか無事の開催を。そして藤井風とスタッフと参加者の健康を。祈るよ、祈りますよ!!

 

ありがとう、チーム風。

(一報に接した興奮のままに書き散らかした、色々すみません!)

 

『きらり』はラブレター

藤井風の曲はダブル・ミーニング、トリプル・ミーニングが当たり前で、端正な構成の中に柔らかな言葉を躍らせ、非常に奥深い世界へ我々を誘ってくれる力を持つ。

解釈のポイントを教えてくれることもあるが、基本的には自由な、聴く人に任せてくれる音楽だと思う。

その風の大らかさに甘えて、『きらり』の歌詞を自分なりに解釈してみたい。どういう解釈が定番なのか、全く承知していないけれども。不快な部分があったら申し訳ありません。

何度聴いたか分からない俺だけど、聴けば聴くほど、この曲の真意は「風からずっずさんへの返歌」という気がしてならない。

いや、本歌をずっずさんが歌ってるわけは無いので、厳密には返歌(アンサーソング)とは違うが、きらり一曲の中に本歌と返歌があると俺は思うのだ。つまり、この曲は、ずっずと風の掛け合いソングなのだと。

 

巡り会うべきふたりは、それまでの日々を一人きりで歩き続けて来た。

岡山駅で初めて会った時、互いを見てどう思ったのだろうか。俺は、互いに一目惚れだったと思う、マジで。風を目の前にしてズキュンしない人間はいないと思うし、ずっずさんも風が初めて見た “カッコいい大人” (おとん様を除く)だったはず。

ずっずさんが東京弁じゃなくて良かった。都会っぽいクールなビジネスパーソンじゃなくて良かった。このふたりの相性が良かったことが、我らの幸せの第一歩。ホントに。

そのまま実家まで一緒に行き、「息子さんを私に(預けて)ください!」とご両親にお願いしたのではないだろうか。実質結婚の申し込みか。

色んなタレントを見てきた、芸能界のトップランナーを何人も見てきた自分だけど、私は君がいいんだ、とずっずさんは風に言ったのでは?

“あれほど生きてきたけど”  英詞でも “long”と書いていて、20代前半の視点だとすると違和感があった。でもずっずさん目線からの詞だとすれば納得。

長いこと芸能界で魅力的なタレントたちを見てきたけど、君がいいんだよ。と言われて、風はその思いを受け取った。また、色んなところから声掛けのあった風も、他の誰でもなく、ずっずさんがいいと決めた。you're the only one for me…これはきっと互いに受け止め合った言葉。

 

アフタートークで、“動機は愛がいい” についての思いを語ってくれたのに、その時はこの歌詞全体が、ずっずさんとの絆を歌ったものだとは思わなかった。今は、一行一行が、全部ずっずさんと風の会話に聴こえる。

歌詞の一部がマネージャーを思って生まれた言葉なら、全体もそうだろうと思うのが普通だよね。

風は、ずっと自分を導いてくれる人を探してた。どこにいたの、探してたよ。やっと現れてくれた人に、連れてって、何もかも捨ててくよ、どこまでも、どこまでも。

息せき切って来たの、行き先は決めたの、迷わずに行きたいけど保証はしないよ…。

一行ごとに胸が詰まる。 東京へ飛び出した風の不安が胸に迫る。けど、ずっずさんを信じて良かった。何もかもイチから教えてもらえたことへの感謝と、新しい世界を体感している歓喜。何も分かってなかったことを知ったのは、何という幸運だろう!

新しい日々は、探さなくてもふたりが一緒にいる、ここにある。always here with us …us は尊い言葉。

 

荒れ狂う季節があっても、群衆の中で悩まされたり立ち止まる日があっても、君とふたりならば、どんな困難もさらりと越えて行ける。

この目がきらりと輝いていられるのは、君の姿が映っているからだ。君が映る目だから、この目もきらり。ふたりなら永遠にきらり。

 

BTSでも、風の美しい横顔が見られたけど、あの瞳がキラキラしていたのは、ずっずさんが映っていたからだよね。父のように兄のように慕う大好きなマネージャーが目の先にいたから。互いに『きらり』なふたりが、ずっと互いを映し合えるようにと願うばかり。

 

恋愛感情とは違うにしても、限りなく深い絆を歌った曲。もし俺がこの曲をおくられたとしたら、愛おしさと責任感とでガチガチに固まる。ずっずさん、相当な決意を迫ってるよこの曲は。

ずっずさんへの感謝を込めたラブレターにも似た曲だと思う。そして、ふたりでどこまでも走り抜く、どうなろうと最後にはふたりで笑いたい、と誓っている。

 

もちろん、普通に男女のラブソングにも聴こえるし、語りかける相手が「車」であるようにも聴こえる。カッコいい車を手に入れて、車に連れてって🎵と歌うのだとしてもステキだ。

ホントに、よくこんな曲を生み出せるなぁ。さらりと聴こえるのに難しくて、いくつも仕掛けがあって。

ヤッフルさんのアレンジも、風が絶賛する通りに素晴らしい。2番になりカリンバ(かな? 違ったらゴメン)が入ると、音が水玉のようにキラキラと跳ねる。一気にみずみずしさが増して、MVではその中で踊る風たちが見られる。目も耳も至福。

 

BTSを見て改めて感じたのは、各セクションのスタッフさんの凄さ。ひとりひとりが最高!と風は心から実感しているのだと思う。

俺が特に感じたのは、ライティングスタッフの働き。重そうな機材を背負って、巨大なライトを吊りながら光を当てる。あんな大きいライトで照らさないと逆光には勝てないんだ。CGのシーンでも、強い光源の前でパネルやらを振り回して、日差しの揺らぎを作る。あれだけの光源があればこそ、バイクシーンの光と影を表現できるのか。何とも重労働。ライティングスタッフ万歳! 他のスタッフも万歳!

 

セイヤさんのイタズラ心が現れたのが、キヨシさんが横断歩道の端に立っているシーン。あれ?キヨシさんの後ろにも長い影がある?と思ったら、ひらりと白い衣装が見えて。ビックリした。後ろにキレイに重なるなんて! 絶妙な位置から映して、楽しませてくれた。

風を下から映しながら「逆光が超キレイ」「きらりしてる」と声かけ。そんなん、女優に言うセリフやん! でもさすが風、「まじで」とすぐ女優演技を。ふはは!ホンマ面白いな〜。カメラマンさんにもサービス精神満点。

 

楽曲もMVも、大勢の協力と努力が無ければ、形にならない。チームのみんながどれほど尽力してくれるかを知っているから、風は全員に深く感謝する。

曲のためであり、風のための作品であるけれども、第一には自分の仕事。良い作品が出来れば、自分自身の誇り。それでも、その仕事の真ん中にいる人が藤井風である現場は「いい現場」だろうな、と思う。

 

そんなあらゆる環境を整えるために戦っているのが、ずっずさんだと俺たちは思っている。

ずっずさんとコバさんがいてくれるから、日々を安心して暮らせると言っても過言ではない。風民からのこの愛に満ちた圧力…すんまへんな。

そんなずっずさんと風の絆を感じさせてくれる『きらり』、俺にとって益々大切な一曲になった。