藤井風を語る真夜中

風という病に侵され…語らせたまえと願った。

突然インライやっちゃう推し

8日、月曜の昼下がり。たまたまスマホ(LINE)を見てたから良かったけど。そうでなかったら気づいてない。

fujii kazeといきなり表示が出て、変な声が漏れた。

風っち、スマホの機能確認するためにやってんちゃう?😆 終わり方がいつもながら可愛かった。あははは!

ほんの2、3分で幸せの風を吹かせて、サッと消えてった。英語混じりだったけど、拾えたコトバは、ハロー。何してるの? こんにちは。サワディーカップタイ語のこんにちは)。(何か歌った)元気ならばいいんですそれで。元気で過ごしてくれとんならいいんです。幸せで。LAにいるよ。チームともだち。(また歌う)もうすぐ…寝ようかなそろそろ…10時14分。(またまた歌う)バツを押す。yeah。ん。ワッ。←また何かやらかした?笑

 

あんな画角で、一瞬たりとも不細工に見えないオトコ。どういうこっちゃ。無精髭ボーボー(失礼)なのに。目も表情も優しくて、寝転んだ体勢なのにキラキラしててさ。ホンマに信じがたい。世の中のオトコは腹這いに無精髭がセットなら、もっともっと不細工である!🤣

 

しかし夜10時過ぎに寝るん? …マジか。アメリカ的な健全なタイムスケジュールで過ごしてるんかな。スタジオの時間もここまで!みたいな。

日本各地のラジオ番組にコメントを届けて、「今スタジオにいる」とピアノまで弾いてくれたりして、ああああアルバム制作中だよね!!とブチ上がる気分にしてくれて。

『満ちてゆく』が凄い勢いで。次のアルバムが物凄いことになるのが目に見えて。胸が高鳴ってたまらない。

『grace』『Workin' Hard』『花』『満ちてゆく』それに『The sun and the moon』を含めたラインナップ(であってほしい!)加えてまだ世に出ていない曲たちが僕らに提供されるのだ、決して遠くない未来に。

どんな神アルバムになるんだよ! 藤井風のアルバムは2枚とも最高の最高なんだけど、3枚目もとんでもない名盤になるのは間違いない。

 

『grace』以降の全曲が何かしらのタイアップになっているのも凄いと思う。

川村元気さんは「藤井風は自分の中から湧き出るものを表現したい人だから、映画の主題歌などはしばらくやらないかも」(大意)的なことを言っていたらしいけど、僕はオファーがあって、それを刺激にして生まれる曲が新しい藤井風を形作っているような気もして。つまり僕的にはオファーも大歓迎。

docomoの企画で作った『grace』をインドでMVに仕上げて、やり尽くした気持ちになった風っち。自分が表現したいことはやり切ったと。

でも、世の中が藤井風を放って置かない。あらゆる角度のオファーが山ほど届いていて、ずっずさんが選別し、風っちに話をし、やりたいことに巡り合って花開く仕事たち。

オファーに応える風っちは無双だ。外からの刺激を受けて風っちの“天才”が新たに目を覚ます。それを享受できる幸せも、ずっと味わっていたい僕なのだ。

 

オファーの中には俳優としての話もあったとか。断ってるらしいけど…うむむむ。

『満ちてゆく』のMVではラブストーリーに挑む気もあったのに「まだ早い」と却下されたと。いや確かにまだ早いよ、我々ファンにとって!😂

心の準備に10年はかかるな。いや永遠にかかるかも知れん。ごめんよ風っち。この辺は女性ファンの皆さまと変わらない僕(と友人たち)なのである。

 

インライで少しだけ「アルバム」への期待を膨らませてくれて。ワシらの間に距離も時間もナイで〜。元気で待っとってな。と言ってくれてるようで。優しい風っち。

何度でも言うけど、あんなに端正で清らかな顔した男が他にいるなら教えてくれ。いやもう「顔面」ってのは、藤井風の持つ才能の中で末端の価値なんだろうに、ああ、あの顔面よ!見惚れてどうすると思いながらも、見惚れずにいられない。罪な男やで。

 

短時間でよかった。短時間がよかった。長いとこっちが病気になる。😭

風のように巻き起こって、風のように去ってゆく。それでええねん。たまたま逢えたらラッキー。残り香だけで飯が美味い。

 

車の後部座席で泣いてる顔をアップしてくれてたね。Yo-Seaさんが『tiny desk concerts JAPAN』の映像を見て歌いながら涙ぐんでる姿とともに。2人とも、あの美しい時間が幸せで、互いに感謝してリスペクトして…音楽に結ばれた魂が共鳴し合ったんだと感じた。

ずっずさんに見守られながら🥹 30分ほども泣いていたのは、喜びの涙だったんだと思う。幸せで、感謝が溢れて、だから泣き顔を僕らにもシェアしてくれるんだよね。

どんな瞬間も、風っちが幸せならいいな。僕らも幸せでいよう。

気温の乱高下もあるし、嵐の日もあるし、災害も地震もある。こんな日々だけど、みんな元気でいようね。それが風っちの祈りであり望みだから。

『四月になれば彼女は』

映画公開の初日に行くなんて初めての経験。しかも初日舞台挨拶の中継付きで。

 

映画そのものの感想はまだ煮えてないのだが、この作品を観た経験が何だったのか、新鮮なうちに書いておきたい。

若干のネタバレ的な要素は入るかと思うので、一切何も知りたくない🙅‍♂️という方はここで閉じてくださいな。映画と原作の比較にも触れるので、未見、未読の方もUターンで、なにとぞ。

書き終わってみると無駄に長い。しかも単なる散文になってしまった。先に謝っておきます。🙇‍♂️

 

⚠️以下、ネタバレ(っぽいもの)アリ⚠️

 

かなり濃密に喰らいついて映画を観て、見終わったと思ったら『満ちてゆく』が流れ始め。その瞬間の「お、おおぅ、キタ、キタよ!」という空気の騒つき。マジで館内がザワッとした。僕も他の観客も、そうだそうだエンディングに流れるんだ、と改めて緊張したような。笑

座席をもぞもぞさせて、歌を聴くんだというモードに入る。

佐藤健さんが舞台挨拶でも言ったけれど、『満ちてゆく』が流れることでこの映画は完結…完成する、と。

決して大音量ではない、むしろ控えめな、映画の余韻に寄り添うような優しい響きで、歌声が会場を満たしていく。

この曲はラストシーンの2人をそっと励まし、包み込んでいくような曲。ひんやりとしているのに温かい。まるで春先の空気ように。

 

僕は原作を読まずに映画を観た。で、昨夜帰宅してから原作を読んだ。

うむ…別物やーーん!!😳←いい意味の驚き

 

原作者が脚本にも参加した作品が、これほど変化するとは。川村元気さん、凄いな。原作は原作として、新たな物語を再構築してみせた。

ある意味、原作も映画もやや難解で、それこそウユニ塩湖のように「これは何?」「自分は何を見ているんだ?」という掴みどころの無さを内包している。それは「恋とは?愛とは?」という問いに直結する“わかりにくさ”なのだけど。

 

原作のふわりとしたニュアンスを、映画として可視化してみせる手法が素晴らしかった。

クライマックスからラストへ至るストーリーは、原作以上の感銘をもたらす。こんなに全然違ってていいの?という驚きは、原作者が自ら変更したんだという感動に取って代わる。

 

細かな相違点はたくさんあり、主人公の2人“藤代”と“弥生”の出会い方からして違う。大学時代の恋人となる“春”の出身地も違う、父親が出て来るのも原作には無し。この父親がまた強烈なる人物像(竹野内豊さんお見事!)で、この人が原作のあの人の存在感と重なるのか…。おそらく父親は亡くなっていて、だからこそ春は世界を旅することが出来たのだろう、と想像する。

 

とあるシーン(男性2人が一緒に店から出て来る)を見て、アレこれは…彼はゲイってこと?と瞬間的にわかった。それまでそんな描写はなく、ただ彼は藤代に複雑な思いがあるのかもしれない?とは感じつつ。

一瞬のツーショットだけで人物の深いところまで演じてみせる役者(仲野太賀さん)に凄みを感じた。

この部分も原作を読んで納得した。しかし人物の造形はこれも別物。

 

とにかく登場人物が、名前は同じでも全く別人になっていて、いや〜映画化、実写化に、こんなやり方もあるんだと感服した。

別の物語が立ち上がっている、より映画に相応しいものとなって。

長い話を短くまとめるとか、エピソードを削るとかそんな次元じゃない。映画化するとはどういうことなのか、核を伝えるには何をどうしたらいいのか。原作からの実写化をどうすれば間違わずに出来るのか。ひとつの最適解が示されたように思う。

この映画化は正解だ。この内容にしたこと、素晴らしい挑戦であり大正解だったと、川村元気さん、山田智和監督をはじめ関係各位に心から拍手を送らせていただきたい。

 

原作ファンには異論もあるかも知れないが、ストーリーの改変によって春と弥生がより深く繋がることで、この作品の厚みが増したと感じる。

登場人物の輪郭もよりくっきりとして、文学と映像の差異、それぞれの魅力も繊細に実感させてもらえた。

 

心の動きが切なく儚い物語なのに、説明的な描写は少なく、圧倒的な風景の美しさが一番雄弁だったのも映画ならでは。

ウユニ塩湖の、世界がひとつに溶け合う中で、自分の存在があまりに頼りなくなる感覚。しかし実在してるんだぞー、ここに立ってるんだぞーと叫びたくなるような場のちから。

世界はこんなに互いを映し合っている。自分は?自分は誰と映し合うのか。天も地もなく溶け合って、分かち難くひとつになりたい。そんな願いを叶えてくれる場所なのかも知れない。

 

プラハの、現在と過去がひとつになった時計。過去を表す春と現在を表す弥生。どちらもそこにある。どちらも生きている。進んでいく現在の中にも常に過去はある。

確かに藤代を愛していたのに、手を離してしまった春。今、手が離れようとしてもがいている弥生。ふたつの手をどちらも失いそうな藤代。

過去と現在が交錯する時計の真ん中で、男は常に不安な顔をしている。どっちつかずの曖昧な顔。僕には、あの時計台に藤代の顔が張り付いているように見えた。

 

アイスランドのブラックサンド・ビーチ。火山岩で出来た黒い砂浜。火山活動が作り上げた絶景。海も冷たく荒々しく、人間を拒絶するような場所。“死”だけが待っているような場所。世界の北の果ては、人を拒みながら人を誘い込むような壮絶な場所だった。

 

ひとつに溶け合い映し合うウユニ塩湖。

時を重ねて互いに繋がり合うプラハの時計台。

黒い無情の中に安らぎがあるアイスランドの海岸。

生きて、重ねて、死んでゆく、この世界。

 

春は旅を終えて、藤代が誰かを愛し、愛されることを願って亡くなっていく。

 

春も弥生も藤代も不器用な魂を抱えている。いや登場人物全てがそうだ。これを「コミュ障の集まりかよ」と断ずる人には無縁な映画だ。

愛することにも愛されることにも不安があり、自信が持てず、自分も相手も満たされないまま、悔し涙を流したことのある人には分かるはずだ。

 

原作には映画『卒業』の話が出てくる。映画と共に、サイモン&ガーファンクルのサントラも大ヒットして、その中に「四月になれば彼女は」という曲がある。

四月、水ぬるむ季節に彼女はやってくる。五月には僕の腕で安らぐ。六月、彼女は変わっていき、七月、彼女は飛び立つ。そして八月にはきっと彼女は死んでしまうだろう。九月になって思い出す。愛はそのたび新しくても、やがて移ろい老いていくことを。

非常に短い曲。“彼女”とは実際の女性ではなく、愛そのもののことだと思われる。

愛の移ろいやすさ、儚さを歌っている。

 

映画『卒業』は、ラストシーンが有名だ。教会での結婚式。愛する女性が他の男と式を挙げようとしている。そこに主人公の男が教会のガラス窓を叩いて乱入し、花嫁を奪いに来る。

花嫁も彼の思いに応えて、2人は飛び出して行く。あてもないけれど、バスに乗り込み遠くへと揺られて行く。

次の瞬間、僕らが目撃するのは、まさに「手にした瞬間に 無くなる喜び」の姿だ。

花嫁を奪って駆け落ちしたという高揚した瞬間は去り、もう不安が2人を包んでいる。これからどうなるの、どうするの?という現実が黒雲になる。

そこで終わる映画。

この映画には僕は承服できない部分があって、それは主人公が愛する女性の母親と性的関係を結んだ男、だという点。そんな!多分中学生くらいの時に見て、あり得ない〜!とジタバタした思い出が。いやはや、彼女は母親と寝た男をずっと愛せるんかい? 当時のアメリカの空気感を描いてるんだろうけど、到底理解できない話として残っている。その分印象も深い。

ま、そんなことはともかく。

 

藤代と弥生はやり直せるのだろうか。

もし春が生きていて藤代の前に現れたなら…彼はどちらを選ぶのか。選べるのか。

 

そんなもやもやした心に、藤井風の声がそっと響いてくる。

「何もないけれど全て差し出すよ」そう、全てを差し出して愛を与えるんだ。愛するんだ。しかし手に入れたとは思わない。人の心を自分のものにすることは出来ない。それはその人のもの。

だから、手にしたと傲慢になるのではなく、永遠に手に出来ないからこそ、大切に思い続ける。自分のものだ!と囲い込んでは安心して放置するような愛し方ではなく、手を放して軽くなって、それでも愛でていくんだ、ずっとずっと。

まず自分の心を満たそう。満たしたら溢れ出すから、それを相手に全部差し出そう。与えるほどに満たされてゆく、そんな生を生きよう。

 

そう歌って、この物語は完結する。この主題歌あればこそ、今の時代に誇るべき作品になったと僕は思う。

 

佐藤健さん、長澤まさみさんの実力通りの演技、表現力。森七菜さんの透明感。僕は森さんをほとんど知らなかったけれど、この作品で実に素晴らしい演技者だと感動した。他の出演者の方々も適任揃い、さすがに川村元気+山田智和にハズレなし。

 

とりとめもなく長文になってしまった。お目汚し許されたし。

風っちが導いてくれた映画、大切に温めて愛でたい『四月になれば彼女は』である。

熱風は続く

眠れないままに朝を迎えた。

NHKプラスで『tiny desk concerts JAPAN』を視聴し、その中から特別にYouTubeにアップされた『満ちてゆく』を観て、さらにMVも鑑賞。このローテーションの合間に「四月になれば彼女は」の川村元気さんとの対談を読み、21日21時からのオチケンさんラジオに出演!(風っちの出演は22時台)というニュースに喜んだ。

 

で、今朝になってネットニュースを眺めていたら『大谷翔平と藤井風が最強コラボ』という文字が目に飛び込んで来た。は?何?何!と読んでみると、大谷翔平さんが出演するCMのBGMに『Workin' Hard』が採用されたとのこと。今最強のコラボだよ!まさに。ワーキナってとこがまた嬉しい!

TVで実際のCMに遭遇できるのか(ほぼ民放見ないから)非常に心許ない僕ではあるが…ワーキナの素晴らしさが少しでも拡がれば幸い。ステキなコラボに乾杯‼️🥂✨

 

てっちんこと別所哲也さんのラジオも聴いた。別所さんのコメントに「かぜちんの今と繋がれること、本当に楽しみ…」とあったので、おそらくリモート出演なんだろうと感じていた。やはりまだ海外だったね。

相変わらずラブリー(笑)な2人。かぜちん、てっちんのやり取りが可愛いくてニヤニヤしてしまう。

基本的にてっちんは息も絶え絶え。あははは!自分以外の人が風っちに夢中なのって無条件に楽しい。笑

「今何をしてるかはまだ秘密、後でこっそり教えてあげる」ってなことを言って、てっちんをふらふらにする風っち。😵‍💫🤐

アジアツアーの思い出(出会ったもの)を問われて「フルーツ」をあげ(!)U.S.ツアーの“アポロシアター”に興奮するてっちんに、シアターの話ではなく「アメリカでしか手に入らないプロテインクッキー、美味しい」と。あはははは!最高だぜ風っち!!

 

思えば初めての武道館も全然場所に興奮なんてしてなかったよなぁ。日本のミュージシャンの聖地・武道館も、あのアマチュア・ナイトで有名な全米の憧れアポロシアターも、風っちにとっては他の会場と変わりない。

凄い場所だとは知っていても、だからといって気負ったり緊張したりするのは違う。ただ自分(たち)の音楽をやり切るだけ、という姿勢なんだよね。

 

NHKの『tiny desk concerts JAPAN』をインスタにあげてくれて、その文章は英文だった。主に海外fansへの発信の場合に風っちは英文にしてると思う。国内では終わった放送だけど、海外向けにはこれから放送になるから「シェアするのが待ちきれないよ」と書いてある。

 

どんどんと海外へ活躍の場を広げていく風っちだけど、「海外で頑張ります!(キリッ)」という“違う場所に行った”感は無い。

言うなら、里庄から東京に出た時だって、風っちの内面は何も変わらなかった。ま、外見は数年で大いに洗練されたけどさ。それでも素の藤井風は気取ったオシャレもしないし、昔のまんま。

今も、藤井風の生活も音楽も地続き。里庄から続き、東京から続き、一直線に繋がるちょっと遠くの地で、同じ気持ちで音楽と向き合っている。

 

1人のミュージシャンが世界に出て行くというより、風っちの中に世界があるのだ。藤井風が世界を包んでいる。その広い広い腕の中に地球はすっぽり収まっている。風っちは世界のどこであれ抱きしめて「かわいいかわいい」と地球を撫でている。そんなイメージ。

 

ホントに何も大それたことは考えていない、ただ自然体なだけの人なのに、無限大の大きさで僕らを包み、地球を包んでいる。生まれる前にインドへ旅していたことからも、本当に生まれながらのコスモポリタンなんだろうと思う。たまたま日本に生まれて、日本語の歌を作ってくれたことが奇跡だし僕らの幸運なんだ。

だからさ、日本にいない時も“地続きやん”と思おう。飛行機で行かねば、じゃなくて、ちょっと自転車で走ったら会える感じ。そんな距離感なんだと思う。思いたい。思わねば。😆

 

日産スタジアムの話題には「バンド…」とチラリ。あんたバンド言うたな!笑

U.S.ツアーはピアノと風、日産はバンド。「まだ何も決まっていない」とは言いつつも、バンドでやりたいっぽい風っち。何だか愛おしい。NHKの収録が終わった後で涙するくらい、コーラス含めたバンドが楽しかったんだよね。コーラスがあるといかに自由になれるか、風っちは知ったんだと思う。

真夏の日産。ステージ上も下も、みんな頑張ろうな!笑

 

爆風と熱風にヤられっぱなしの1週間。明日もオチケンさんのラジオがあるし、明後日には映画公開。

川村元気さんとの対談はもう少し咀嚼しようと思う。

ただ、てっちんラジオでも言ってたように『満ちてゆく』のブリッジ部分(間奏であり大サビ)を付け足したのは、川村さんの提案だったと。川村さんは尺の問題で言ったとしても、風っちも何か足りない気持ちを薄々思っていたので、すんなりとあの大サビが出てきたみたいで。いや〜さすが!

僕らは結果として最高のものを受け取らせてもらっているけど、そこに至る過程は、風っちも周囲の人々も、あらゆる大変さを乗り越えている。当たり前だけどその尽力に心から感謝したい。

 

もうヤケクソで、舞台挨拶中継つきの回を予約したよ。仕事なんか知らーん!😂

映画館に響く風っちの歌に身を浸す。うわ、幸せ過ぎて溶けるなよ自分。

 

ああ、楽しみは続く。幸せは続く。ありがたし。

NHKの小さな机

『tiny desk concerts JAPAN』第1回の放送。

30分で6曲。はーーこんな番組待ってた!

全てこの番組のためのアレンジ。

僕は風っちがむちゃくちゃカッコいい大道芸人に見えた。キラキラした音楽がその手から生まれ出て輝いてた。音楽をジャグリングしてるようだった。

🎪🤹‍♂️🎶🤹‍♂️🎶🤹‍♂️🎪

 

実際のNHKオフィスの一画、小さな机にキーボード置いて。本を支えにしてるし。ラフで軽やかな音楽番組のスタート。ここは、雑然とした雰囲気のままに、ただ音楽を楽しむ場なんだ。

背景の棚には僕の好きなチコちゃん、カラスのキョエちゃんにどーもくんもいる。ああNHK。笑

 

今回セットリストは全てYaffleさんプロデュースの曲。

『まつり』『ガーデン』『damn』『きらり』『満ちてゆく』『死ぬのがいいわ』

冒頭からジャジーでチルいアレンジが続き「んーー気持ちいい!!」と心も体も喜ぶ。

昨夜公開のMVでは、あまりに熱い母上への愛を示してくれたから、今夜は父上のサングラスをして父上愛も忘れてないよって?(笑) こんな親孝行で優しい息子がおるんかな。TVの向こうにご両親の微笑みが見えるようで、それも幸せ感を増してくれる。

 

何もかもがザ・藤井風で。自由自在なアレンジ。ますます上手くなるフェイク。音と遊び、音と弾け、音と踊って。

すげーすげーかっこいい、綺麗な顔やなぁ、ウキウキする音やなぁと見惚れ感動しながらも、こちらを緊張させる“圧”は一切ない。

ひたすら全てを解放し開放し、包み込みながら浮遊させてくれる。うんうん、これが藤井風やで。

 

7人の編成が絶妙で、コーラスの2人も最高だった。風っちの周りはゴキゲンな人ばかりだ。

黒髪好きの僕にも(笑)この番組には金髪が似合ったなと思える。明るくて軽やかで、みんなして30cmくらい宙に浮かんでた感。

この自由さも風っち独特の魅力。強い信念と規範を持ちながら、果てしなく自由人。ホンマに見たことない人類。

 

昨夜の続きが今夜? 2夜続けてあまりの爆風を浴びてるのに、何という落差なんだろう。

昨夜は海の水やオフィスの冷たさが強調された世界。背景は錆びた灰色の冬景色。その中で失ったと思ったものを取り戻す再生の物語。一転して今夜は、晴れやかな5月の空にかかる虹を渡る心地。風っちの笑顔に癒され、緩く温かい音楽に癒される。

どちらも藤井風だけが生み出せる世界線。胸を掻きむしる哀しみも、胸を解き放つ喜びも、表現者・藤井風によって最大値になる。

 

新番組だから来週もあるのだろう。きっといい番組になることだろう。

でも毎週とは言わずともまた風っちの音楽を、僕らに与えてほしい。必須の栄養素だから。コレがないと不調になるってもんだ。

NHKさん、これからも藤井風を追ってくださいな。心から頼みます。

 

さ、次は18日月曜の“てっちん”ラジオだね。お楽しみは続く。

来週も風っちが吹かせてくれる幸せの春風を、胸いっぱい深呼吸しよう!

『満ちてゆく』MV感想

この傑作を前に野暮なことは言いたくないけど、何回か観てみた段階での感想を書いておきたいと思う。

 

まず最初に歌詞の一部が英語で流れる。『変わりゆくものは仕方がないねと 手を放す、軽くなる、満ちてゆく』の一節。

風っちの囁きが車椅子に乗る老人の一生と重なって、そのまま歌になる。歌声もそっと人生に寄り添うような優しさ。ためらいがちに人生を歩くみたいな歌い出し。

 

年齢を経た彼は老人達の住む施設で静かに暮らしている。仲間達と語り合う場もある。ピアノを披露する場もある。好きなことができる落ち着いた日々。

やがてもっと老いて脚が不自由になった彼は、自分の人生を振り返りノートを記す。書いていると思いは「母」へと向かう。老いた仲間との暮らしでも、ピアノを弾く場所でも、常に見守ってくれるのを感じていた母の面影。

日記を書いていると、母の思い出が浮かんでくる。ベッドの足元に満ちてくる水。そのままベッドは海の上へ。悲しいほどの孤独。子供の自分は母を救いたくて手を伸ばしたけれど届かない。沈んでゆく母。

 

若き日の自分を思い出す。まずは元気を頼りに仕事に励んでいたけれど、やがて疲れてタクシー移動になり。なかなか上司に認められる結果が出ずに、イラついて他人とぶつかったり。自己嫌悪で萎れた電車の中、ふと母の目線を感じる。

母に会いたい…懸命に探すけれど姿はない。

 

子供時代の彼。母に導かれてピアノ店へ。この時着ていたパーカーが、海のシーンの赤い袖だ。子供時代に母を喪ったのだ。

母を探して走る。子供の彼も青年の彼も。失くした、失ったと思いながら。

教会に辿り着き、さらに母を想う。母と行ったギャラリーを、車椅子の彼も訪ねてみる。そこに母がいた。彼は涙をこぼす。

教会の彼も気づく。失ったわけではなかった、全てを与えてくれた母は、自分の中にいる。はじめから自分には全てが与えられていたんだ。

足取り軽く、彼は今こそ母を受け入れ墓地に向かう。お母さん、自分は全部持っていたんだね、貴女が与えてくれたから。貴女は自分を捨てて去ったわけじゃなかった、全部ここにある、貴女と間違いなく繋がっている。

 

母への思いを書き、老いた彼は帰っていく。母は、よく頑張ったね、お帰り…と言いながら、いつも身につけていたショールをそっと肩にかけてあげる。

母のショールに包まれて、今彼はあらゆる人間が帰る場所へと旅立ったのだ。

 

 

藤井風の演技力よ。いや演技ではなく、その人物を生きる力の凄まじさ。

サスペンダーをして踊る姿のチャーミングさ。酒に酔い暴れる姿。電車のシーンの、母に気づく表情。面影を探す姿。墓地で微笑む顔の美しさをも含めて、ほとんど信じられないほど演技が上手いんだが!

藤井風がエグ過ぎて倒れそうだよ。

 

あの海に漂うベッドのシーンは、CGなのか?室内に満ちてきた水も?

どうやって撮ったん監督!

 

スマホで見てる人も、TV画面で見る人も、可能な限り設定を明るくして見るのを勧める。暗い画面では見えなかったものが見えてくるよ。母の肖像画を見ながら、老人がこぼす涙も。

 

エンドロールでスタッフさんの名前が出ている間も、墓地には青年がいる。画面の左、真ん中辺りに。母の墓の前に佇み何かを話しかけるように。

 

山田智和監督、凄いなぁ。藤井風を生かし切って。あの音楽の天才に、まだまだ無尽蔵の才能があることを僕らに見せつけてくれて。

それに応えた風っち。こんなクオリティのMVなんてものを我々に与えてくれた。

曲の終わりにクラップが入るけれど、あれは僕には拍手に聴こえる。人生を生き切った人への喝采。最期の時、おめでとう!頑張ったね、よくやった!と、一番は母から褒められたい。そんな子供の僕らへ、拍手を送ってくれる楽曲なんだと思った。

 

6分間の映画。この世界は完結している。完全な形で我々に提供された、愛だけの世界。

山田智和監督の凄さと藤井風の凄さ。全スタッフさんの凄さ。こんな奇跡ばかり見せてもらえるから、風っちのファンはやめられないんだよ!

🎵満ちてゆく

MV公開、配信リリース。

山田智和監督、藤井風を俳優にするつもり? なんかもう演技ができてるんすけど!😭(泣いてまう)

年齢を重ねたメイク、役所広司さんかと。違和感ないってどゆこと?!

いやもうMVは罪。曲が身の内に入ってくるまで、このMVを見尽くさなあかん。

 

山田智和監督、映画本編と変わらぬ熱量で、ふたたび藤井風を描くことに注力してくれたんだな。映画のためにボロボロになりながら、この表現の哲学者は、藤井風に真っ直ぐ向き合う愛の人だ。瞬間瞬間の風を、何と真摯に撮っていることだろう。

そして一瞬一瞬の風っちよ、何と美しく生きていることか。生身の青年を、生身の老人を、リアルに生きていた。唖然とする存在感。

 

あらゆる人間の底の底に、結ばれなかった誰かがいる。その誰かに向けて、我々は手紙を書く。書き終えることのない手紙を。

またもや何という歌詞を書くのだろうか、風という詩人は。

『あれもこれもどこか置いてくる』

もちろん「老いてくる」とのダブルミーニング。全てを置いて、老いていく我々。愛でて、繋がって、共に手を放して、軽くなって、満ちてゆく。

 

『愛される為に 愛すのは悲劇 カラカラな心にお恵みを』

『何もないけれど全て差し出すよ』

ああ、涙が胸に溢れる。風っちの詞はあまりにも美しく強い。

 

老いてくるからこそ、満ちてゆく。人として満ちてゆくためには、全てを差し出すこと。全てを与えること。長い時の間、ずっとずっと。

与えて与えて、軽くなった時にこそ、我々は満たされるのか。

 

藤井風のMVはこの世の奇跡。才能と才能と愛と愛がもつれ合って絡み合って花を咲かせる。意図を超えて咲かせるハメになる。笑

そして我々を泣かす。

 

山田智和監督、全てのスタッフ、出演者の皆さん。藤井風。またも生まれた奇跡の映像に、魂ごと抱きついたまま眠れない夜である。

何で泣いてるん?

お久しぶりにもほどがある!であります。

皆さまお元気でありましたかでしょうか? 本日急に元気になった人もおるかも知れん。😭😭

 

しかし、なぜ泣いてるん風っち。それが気になりつつも、怒涛のスケジュール発表に唖然呆然の僕である。

いきなり8月まで埋まったぜ! 何なんこれ!!

とりま落ち着け自分。

まずは今週末。3月16日土曜日。NHK地上波にて新番組のゲストに藤井風。23時30分〜24時。

『tiny desk concerts JAPAN』第1回のゲストだよ‼️

 

『tiny desk concerts』は2008年に始まった、アメリカの公共放送ラジオ局がネットで動画配信している番組。様々なジャンルの歌手や演奏家が出演し以前から大人気だったが、ようやく日本版としてスタートする。地上波で見られるなんて嬉しいよね。

ラジオ局で「うちの事務所のちっちゃな机で歌ってよ」というところから始まった番組。NHKではさすがにスタジオ収録だろうけど、いかにも風っちらしい、飾らない普段着の番組になっているに違いない。

 

その前日、15日に『満ちてゆく』デジタルリリース、MV公開。

マジで今週は神降臨。

一方風っちは飛行機で旅立った模様。この大騒ぎに我々を放り込んで、自らは遠いところへ。

んで、ほろり泣き顔のポストだよ。何なん、何でなん、何があったん!! もう…こっちが泣き顔になる。

 

髪はプラチナブロンドに染め、5月にはロス、6月にNYで弾き語りコンサートやるとな。そのための英語曲を作る作業を重ねているのかな。一昨年から何度か渡米しつつ。

ピアノと風。また最高の時間が待っている。

 

そしてそして、8月24、25日は待望の『日産スタジアムライブ』‼️ ぷぎゃーーーーー‼️

夏男の本番キタよ。ステージも暑いが観客も暑い。真夏にやるんやね…いいよドンと来いだよ、太陽も泣く(嬉し泣き)勢いだよ!!

 

いやーー空港の写真に「ちょっと寂ちぃ」なんて言ってたアナタ、いきなりの爆音に腰が抜けてないか?

風っちがひそかに何かと頑張ってたことが、いよいよ表に出て来たね。

 

まあアタフタするけども。まずは15日。『満ちてゆく』のリリースとMV公開を楽しむ。

翌16日深夜のNHKを視聴する。

22日には映画『四月になれば彼女は』が公開。

今週も来週も心臓バクバクだよね。

ああ、何て楽しみなんだろう‼️

 

 

昨年祖母を亡くしてから、何だかあらゆるリズムが狂い、このブログを書く気力さえ失っていた。

色んな形でコメントを寄せてくださった皆さま、温かい励ましをありがとうございました。心から感謝しています。

春の陽気に芽吹く花のように、僕も風っちの活動の振動にやっと目を覚ました気がします。

顔を出したばかりの虫のように弱っちい僕ですが、よければ今後もお付き合いください。いつも本当にありがとうございます。

 

それにしても、何で泣くん風っち。ずっと5月のライブまでアメリカなん? 僕らの寂しさを思って泣いてくれたん?

世界中のどこにいても、音楽活動してる風っちを、僕らは身近に感じてる。いつも隣に風っちの音楽がある。それだけで幸せなんだから、泣かないでな。

 

ハッピー週間が始まった。

みんなでワイワイ楽しもうね‼️

 

🍀追記

NHKの発表をよく読むと、どうやら本家(アメリカの公共ラジオ局)と同様に「局の事務所・オフィス」でそのまま収録してるっぽいね。

「渋谷のNHKオフィスでパフォーマンス」「演奏するのは、実際のNHKオフィス」と書いてある。わお!スタジオにオフィスのセットを作るのかと思ったら、本当にオフィスそのものを使うんだね。

日本でも“ちょっと寄って歌ってみた”ふうの番組にするんだな本気で。第1回は番組の心意気を示すものとなるから、めちゃ大事。藤井風を選ぶなんて、あまりにも番組のコンセプトにピッタリだよ!

何を歌ってくれるんだろう。本家では大体3曲から5曲くらい披露されてるみたいだけど。『花』『満ちてゆく』はキマリかな、どうかな。

地上波TVで歌う風っちに会えるなんて夢みたいだ。春風が吹いたような感想になるんだろな、半分泣きながら笑顔になる自分が見える。

何にせよ、春を呼ぶ藤井風まつりのスタートだ‼️