藤井風を語る真夜中

風という病に侵され…語らせたまえと願った。

青春病を語る夜明け

7月11日の関ジャムに、山田智和監督が出演し、監督の他のMV作品とともに『青春病』が紹介されていた。

今をときめくと言うに相応しい、大ヒットMVを連発する監督であるにも関わらず、静かで謙虚で穏やかな佇まい。映像界の最先端に居ながら、哲学者のような空気感。眼差しが奥深くてドキリとする。

こんな監督の元で、あの『青春病』MVができたのか…。わずか2日間の撮影で、風に「ひとりの青年の人生を生きた」と言わしめたほどの。思いがけない熱い涙を流させたほどの。

 

しかし、ラストまで引っ張られるとは。藤井風のファンなら最後まで食いつくと。順番を飛ばされた時には、関ジャム恐るべしと思ったよ。笑

知らなかった事実にもビックリさせられた。

冒頭の浜辺を走るシーンは、「真っ直ぐに青春をやりたい」と、風から提案したとのこと。

長回しで撮られた、風の本意気の疾走。足元の不確かな砂地を全力で走る…まさに青春そのもの。風の足が速いことも、走る姿が美しいことも分かって、貴重なシーンとなった。

 

また、野ざらしダンスのシーンは、休憩時間中に風がふざけて踊り出し、皆がノって一緒に合わせたところを、ハンディカメラで撮ったのだと。よーい、スタート!で撮影されたものでは無いからこそ、あの、自由で楽しげな雰囲気が生まれた…という、何ともステキな種明かしがされた。

 

しかしまあ、あのキャスティングが素晴らしいよね。全員が独特のキャラを持ち、どこかしら影や秘密を感じさせ。「どどめ色」に相応しい(褒めてます)メンバー。無言のうちに「こいつら全員、何かを抱えてるな」と思わせてくれる。よく選んだな!と拍手しかない。

 

一見楽しそうな、キラキラしてそうな仲間達との日々。でもそれを風は「病」だと謳う。

いつか粉になって散るだけなのに、今を永遠だと勘違いするなよと。青春病とは、自分の若さへの依存であり執着だと言っているようだ。

いつかは消えゆく身であるのに、なぜこんなにも囚われ、執着し、熱が消えないのか。ただ粉になって散るだけの短い人生に、何のこだわりが必要か、この罰当たりめ

切れど切れど纏わりつく泥…そんなものの中でもがきながら、目の前には、ただ漂うだけの獣(けだもの)の残骸が見えている。強いはずの獣も、いつの日か野ざらしになる。弱肉強食の覇者になろうとも、虚しく儚いだけ。そんなものに憧れたことなんか無いはずなのに。

何者かに成る、何事かを成し遂げる。そう思って走り続けるのが青春なら、そんなものに囚われていることこそが病だ。そんな青春にサヨナラを。

 

青春というキラキラワードも、藤井風が作ると、囚われという病から自分を解放しよう、儚い夢への執着を手放そう、という曲になる。

自分の内で自分を急かす言葉にサヨナラしよう。進んでいるようで後退してる、そんな生き方にサヨナラしよう。青春という、何もかもが許される魔法の言葉にサヨナラしよう。本当の人生に出会うために。

 

歌詞にフォーカスしてしまうけど、曲もいいんだよね。爽やかさの奥に不協和音があるような、軽快さの隣に底なし沼があるような。それを見事に表現するヴォーカルに惚れ惚れする。

藤井風は音源が完璧で、MVの映像になってより魅力が増し、LIVEではもっともっと届く歌になる。完璧の上をいくヴォーカルを聴かせてくれる。限界の見えない存在。勝手に誇りだと言わせてくれ!

 

関ジャムを視聴し、『青春病』MVを観て、もちろんBTSまで観るのが一連の流れ。

万が一、藤井風公式アプリ【無料】をダウンロードしてない人がいるなら(いないだろうけど)青春病のBTSを見るためだけにでも、すぐにダウンロードを。アプリのみで見られる、レアで至高の作品だから。

 

BTSでは、本番前に円陣を組むシーンがある。その時、風は仲間の肩に回した手で相手をぽんぽんと軽く叩いている。励ますように、慈しむように。この無意識の指の動きが、藤井風だなぁと思う。人間が好きな人でなければ、こんな動きはできない。

また、雨の中でのハッピーバースデー。みんなで濡れながら顔面ケーキをするところ、風はぶつけたりしないで、ああぁと助けようとしている。笑いでいっぱい、すべてが楽しい青春のワンシーン。

 

こんなに優しい人なのに、藤井風の人生観の厳しさに打ちのめされる。

青春の美しさを肯定し受け入れた上で、捨てよう、その輝きは永遠じゃない、儚い夢を見続ける呪いになり得るのだと。

俺は『野ざらしにされた場所でただ漂う獣』を見る、見続ける。あまりに哀しく無残なイメージが俺の中に定着し、痛みとなる。青春という言葉が持つ痛み。青春病の俺達は、その痛みにすら甘えてしまう。いつまでも治らない病に甘えているうちに、人生は終わる。粉になってから知っても遅い。病に甘えているような弱さを捨て、もっと強く、高い次元に。藤井風が、自分ももがきながら指し招く世界に。

 

凄まじい曲だなと思う。

俺の解釈はごく個人的で、決して正解でもない、ひとつの見方というだけ。異論もあって当然なので、そこはよろしく。

ただ、こんなにも厳しく自分に対峙する風だからこそ、青春の美しさを描いたあのMVを生き切った時、涙したのだと思えてならない。

もう二度と戻らない青春に、たった今、サヨナラをしたのだ。

泣き出した風を、優しく抱きしめに行った監督。ガシッと抱くのではない、壊してはいけないものを抱くような姿に、監督には風の思いが分かるんだなぁ…と思った。

共演者達も、そっと抱きしめたり、そっと触れたり…いたわるような、慰めるような態度で。風の側にいる人は皆優しい。風の優しさが伝播するみたいに。

素晴らしいMV、素晴らしいBTSに感謝しかない。

 

2ndアルバムに収められるべき『青春病』。

今こうして話題になる意味は…我々がドキドキし始めてもいい(笑)というコトか?

期待しちゃうぞ!!

でも焦らず、いい子で待つ。

青春病にへでもねーよに旅路にきらりが入るアルバムだよ! 2ndにしてベストアルバム並み。ゾクゾクする。

変に煽る気は無いので、おとなしく待ちますよ。待つ時間も幸せなり。

 

『青春病』のタイトルは、左右対称になってるよね。青春が対称だから、病も対称にしたのかな。それが、合わせ鏡のような効果を生んでいる。

ワケワカラナイ感じと整った感じが、不安と予定調和の両方を表しているようだ。決まった友と決まったことを繰り返す青春。あいつも俺も、合わせ鏡のように同じ顔、同じ日常、同じ遊び、同じ仲間。でもそこに、何やら不穏な、落ち着かなさがある。それを見事に表現しているタイトルロゴだと思う。

 

藤井風の音楽と、それに関わる人々の優秀さ。自分の魂にフィットしてくれるものがある、そのありがたさ。

今日も幸せな夜明けぜよ。(昨日よく寝て、寝不足解消したから大丈夫!)