藤井風を語る真夜中

風という病に侵され…語らせたまえと願った。

golden hour

クセになる曲だよなぁ。藤井風のファンなら、みんな好きになる曲だと思う。こういうエモーショナルな曲の広がり方が好きだよ俺ら。だから風の音楽のファンなんだ。驚いたよね、この藤井風とJVKEの親和性。

 

だけどさ、あくまでもJVKEの曲だからね。そんなに執着するのは違うやろ、と頭では思うわけさ。だけど何回聴いても心が泣く。

JVKEのメロディ、歌に魅了されて放心してると、そこに風っちの声がひそやかに歩み寄る。短い歌唱の間に、藤井風の魅力と凄みが息づいている。

俺らには思いがけないプレゼント。風不足を払拭し、あああやっぱこの声だよ!この声が俺の世界を変えたんよ!と思う。

この美しいコラボが与えられて、何て幸せなんだろう。

 

以下、この曲への一考察。夢想とも言う。

 

歌詞を読み、この世界観、どこかで既視感がある…と思った。

ちょっとブッ飛んだことを言うのを許してほしいけど、それは与謝野晶子の『みだれ髪』。あの短歌集の一首だ。

 

その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

(そのこ はたち くしにながるる くろかみの おごりのはるの うつくしきかな)

 

色んな解釈があるけれど、俺の解釈は以下。

まさに今二十歳の私、この豊かな黒髪を持つ私、こんなにも贅沢(ぜいたく)な私の青春、何て美しいのでしょう。

「おごり」は、いい気になるとか思い上がるという意味ではなく、贅沢さや誇りを感じるとの意味。

 

自己の美を誇る歌であるには違いないけれど、この歌の底には次の意味がひそむ気がする。

この黒髪はただ豊かに流れるだけではない、この髪を愛してくれる恋人がいるから美しいのだ。たったひとりの私の美ではなく、愛してくれる人がいるからこその。その男(後の夫・与謝野鉄幹)の愛を誇る気持ちが、彼女の美をより艶やかなものにしている。

 

golden hourもまた。1日のうちで最も美しいゴールデンアワー。風っちはそれを黄金色(こがねいろ)と表現。

ゴールデンアワーの光は青春の輝きに似て。愛する彼女に降り注ぐ光。それは彼女自身が発光しているかのよう。

美しい彼女を見ながら、僕は不安を感じている。僕なんかいなくても、彼女はそのままで輝いている。僕とは無関係に。

だけどそれは違うんだ。僕が愛しているから、彼女は輝いているんだ。

 

女性独自の輝きであり、そこに男である自分は不要なのかも知れないと思わせるほどの圧倒的な美。

肌の輝きも黒髪も、それだけで美しいけれど、実はそれを愛する者がいて、本当の美になる。

 

与謝野晶子も、自分を讃える歌であると同時に、すでに男性に愛されている自分を誇っている。俺にはそう思える。

同じことを、男の視点でJVKEが、女の視点で与謝野晶子が描いた。そんな気がするのだ。

 

男なんてさ、呆然として女性の美を見つめるしかないのさ。自分だけに見える美を。あの時間、彼女は最高に美しかった。その思い出を残してくれただけで感謝しなければ。

そして同時に、この俺が愛していたから(愛の眼鏡で見つめていたから)あんなに輝いていたんだ、ということもまた真実。

 

今は別れてしまった彼女の、あのきらめき。あの美しさを見せてくれた彼女。あんなにも光輝いたゴールデンアワー。確かに彼女はそこにいた。

 

風っちの歌唱部分は、心をより解き放って、まるで宇宙空間から地球を見ているようだ。

黄金色に輝く惑星、地球。この美しい世界を壊さないで。その秘密に僕らはたどり着いた。この星を守るには、絶対に嘘をつかないこと。そう目を覚ませば、僕らは永遠に空を飛べるんだ。

 

彼女だけを見ていたJVKEの視点から、地球が輝くこの美しい時間を守るには、我々が嘘をつかないこと、嘘に惑わされないことだよ。そうすれば我々は永遠に空を飛べる。この星を壊さないでいられる、という大きな視点へ。

 

藤井風は、この切ない恋の歌をも、より大きな人類愛・地球愛へと昇華する。

風っちは風っち。誰とコラボしようとブレない。どうやったらこの美しさを守れるのか、みんなを守れるのか、それが風っちの背骨。

 

ステキな曲だから、こっちの物思いも遥かに広がっていく。

JVKEにも風っちにも笑われるだろうけど、俺の頭に湧いた思いを語ってみた。

 

【追記】

これをアップしてすぐ、ダッチ監督のインストに気づいた!

風っちには関係ない内容だよ、念のため。

でも一瞬息が止まった。もうもうもう!!監督ってば。

優しい顔して、いいな。ステキだな。

ストーリーズなので早く見ないと消えちゃうから…一瞬フリーズしたい人はぜひ見に行くべし。

最高っす監督!!😆