藤井風を語る真夜中

風という病に侵され…語らせたまえと願った。

『花』への想い

これほどずーっと聴いてられる曲も、ありそうでないよなぁ。

声が優しいから。メロディが心地よいから。ほのかに明るいのに、胸が締めつけられるような寂しさもあり。ファルセットの響きの美しさ。ますます上手くなったな〜とうっとりする歌唱。

笑顔にさせてくれるのに、思わず涙ぐむような曲。さりげないのに、ものすごい名曲が誕生した実感がある。

 

『花』から受け取ったこと、まだたったの2日分だけど(笑)今の時点で感じることを書いておこうと思う。

 

俺には、ひたすら花を眺めながら自分と対話してる人のつぶやきに聴こえる。

印象深いイントロ。生ドラムの音は鼓動。生きてる証のように鳴り続ける。

花屋の店先か、花々が咲き乱れるガーデンか。

今こうして眺めている間にも、確実に花は枯れていく。しかし今目の前で確実に咲いている。咲くというのは枯れるまでの間だ。枯れながら咲き続けるのが人生だ。そしてやがて命は溶けて帰っていく。全て命あるものが溶け合ってひとつになる場所へ。

自分はこの花の中でどれを選ぶ?どの花になりたい?迷うばかりだ。

どの花も儚い。どの花も尊い。懸命に咲いて、命の限りを生きている。

花を選び花束を作ってもらう。それは誰かとペアになる行為に似てる。小脇に抱えて歩いていく、それは誰かと一緒にいるということ。2人という単位を信じること。

人は孤独を忘れたくて花を買うことがある。花に寄りかかりたくなる夜がある。その時、花は誰かの代わりをしているのだ。

 

どの花がいいかな、自分はどの色になろうかな。思いを込め、祈らずにはいられない。あらゆる花があって目移りし、自分の花を決められない。あれもこれも魅力的。でも自分にはそんな美しさは無いようにも思えたり。

あの一番キレイな花になりたい、あの一番華やかな花になりたい。そう願って過ごしても、いつかは気づくよ、どの花もみんなかわいいと。

何の違いも無いのに、違って見えて、あれがこれがと執着していた目線から離れられる時が来る。

内なる花は、違って見えても同じ。みんな同じ花を持っている、咲かせている。やがてはひとつに溶け合う花を。

 

みんな儚い、みんな尊いのだから、違いを感じるよりひとつだと知ろうよ。

誰もがひとりだけど、だからこそひとつだと分かり合おう。

1人を抱きしめた上で、2人になれるなら幸せだけど、1人であることを自覚せずに2人を求めるなら、萎れた花を抱えて歩くようなもの。

自分もひとり。相手もひとり。別々の人間だから尊重し合う、認め合う。相手を規定したり、支配したりしない。

その上で、愛情でも友情でも、与え合おう。いつかはひとつに溶け合う場所に帰る、その時まで。

 

優しい優しい「My flower's here」のリフレインが消えていく、その先にひとつに溶け合う場所が見えるような気がする。

 

これまでに生まれた曲の中でも、聴き続けるのが自然にできるのは、「聴く」というより「馴染む」からじゃないかな。生活に、心に、密着してくれる感。

ホンマに、なんでこんな曲が作れるんや…心地よくて、しかも泣かせる曲を。

カッコよくてオシャレなのに、切ない。これがシティポップみってコト?笑

風っち、素晴らし過ぎるよ。

 

また曲への思いは変化していくかも知れない。でも藤井風からプレゼントされた花束は、決して枯れない、萎れない。この花は俺の中にも咲く花。ちゃんと水やりしなきゃな。

どんな花になりたいか?そんなこと願わなくても、すでに内なる花は咲いている。

確かに風に揺れている。