俺はねぇ、連続ドラマを視聴する習慣は日曜以外には無いのである。日曜はNHK大河ドラマとTBSの日曜劇場は子供の頃から(一時期を除いて)視聴しているけど。
だから感想を言うのも苦手だし、録画はしない派なので、初見の記憶しかないし。でもせっかく藤井風主題歌のドラマだから、ちゃんと見たいし。何とか毎回リアタイしてるのである。
11月9日。5話の放送があり、視聴した。今回は主に紅葉回。色々な捉え方があると思うが、俺は『嫉妬』という切り口で感じたことを書いてみたいと思う。
ひとりぼっちに見える同級生に声をかけて、仲良く“してあげる”…そんな学生時代を過ごしていた紅葉。ぼっちがもう1人見つかれば、ぼっち同士を繋いで“あげる”。誰にでも親切で優しい紅葉と言われながら本当の友人はおらず、誰よりぼっちだったのは紅葉。
自分が繋いだ2人が親しく楽しそうにしているのを見て、紅葉は「自分は不要になった」と感じる。仲の良い2人に嫉妬する。
誰からも必要とされない。それが紅葉の自分イジメのキーワード。「紅葉なしで大丈夫」な姿を見せつけて自分を傷つけた友人を、本音を言うことで傷つける。自分を罰するために。だけど実際に傷つけ、傷つけられるとつらくて、思わず泣いてしまう。椿に救いを求める。
その頃友人も、紅葉によって繋がった友人に救いを求めていた。紅葉に傷つけられ、紅葉を傷つけた自分に痛みを感じながら。
ここの描写、脚本家の力量に感服した。友達がいることの素晴らしさ。人間は悲しい、儚いものだけど、友達がいれば生きていける。誰にもたったひとつの救いがあれば。友人にそれをもたらしたのも紅葉だったのだ。
人の心を蝕(むしば)むのは『嫉妬』という悪魔だと感じた。まさに、緑色の目をした化け物。我々の心をエサにして我々をもてあそぶ。
紅葉には、人気画家になっている友人への嫉妬があった。自分の小ささ、頼りなさを感じた時、人は隠してたはずの牙を剥いてしまう。
これから先、ドラマの展開に『嫉妬』が関わってくる気がしてならない。
嫉妬のない人間関係は無い。好きな人と関わる人に、大なり小なり嫉妬心を抱くのが我々だ。それが自分を苦しめるとわかっているから、誰にも執着しなくて済むような薄い人間関係でいようとする人もいる。
濃密な関係になればなるほど、嫉妬の気持ちが生まれてしまう。
推しのプライベートを垣間見た時にも、似たような感覚になることがある。全くのプライベートで楽しそうにしている推し。当然ながら自分とは無関係な人々の中、推しには推しの生活がある。あまりに当たり前なのに、それを誰かが切り取って見せてくれると微妙な気分になる。
わぁ、楽しそう。いいな、一緒にいられる人たち。でもプライベートだからあまり…見せてもらって嬉しいような、拡散してほしくないような。
推しには無理してほしくない。プライベートは晒さなくていいように守ってあげたい。
推しの平穏を願う気持ちに、ほとんど気づいていないような嫉妬が混じる。自分には入れない世界に、推しがいて、その友人がいて。ほんの少しだけチクリと胸が痛む。
本意気の嫉妬ではない、嫉妬する権利さえない人間関係においても、我々は嫉妬を抱く。
その執着を手放すんだよ、つらい思いはしなくていいからね、と優しく諭してくれる推しもいるんだよね。
紅葉も、ゆくえも、夜々も、もしかしたら椿も、自分の中の嫉妬と向き合わなければならないかも。あ、ゆくえの妹や“別れた友達(元トモ)”も。
俺も、自分の中の嫉妬と向き合わないと。ねじ伏せるのか、飼い慣らすのか、昇華させるのか、わからんけど。
ゴタゴタして苦しみたくはないから、4人であろうとするのか。この嫉妬はどこから来る?と考えて、2人になろうとするのか。友達という言葉を防波堤にできるのか、心の平安のために。
どこに着地するのか、しないのか、4つの心を抱きしめながら、俺自身もドラマの中を旅する。
今回もバラードバージョンが流れた。ピアノの音がキラキラと落ちてくると、もう風っちの声だけが「世界」になる。すんません、台詞が聴こえなくなるんす。だから俺は字幕つきにして視聴してます。笑
とにかく会話劇だから、会話を理解したいから、字幕がある方がよくわかると思っている。
ゆくえがお揃で色チのカップを用意したところ、彼女には4人の4人による“新スタート”を願う気持ちがあったような気がした。
オクサマが用意したカップではない、4人のためのカップ。本当にすきなカップを使いたい。それぞれが、自分はコレ!と選んで。
4人の新しい居場所を象徴するカップ。これからどんな会話を聴くことになるのかな。
誰かの都合のいい人だった4人が、自分にとって都合のいい人になっていく物語。いつも風っちが言ってくれる『自己肯定感』を考えさせてくれる物語。
自分を自分が認めて、自分でいいんだ、自分だからいいんだと思えるようになりたい。みんながそうなってほしい。
風っちのそんな願いを底流に感じながら、この物語を味わいたいと思う。