藤井風を語る真夜中

風という病に侵され…語らせたまえと願った。

今さらHEHN語り⑥(完)

7️⃣ 特にない

特にない…そんな言葉で始まる曲がある?笑

最初聴いた時ビックリした。内容が思ってたのと真逆だった。タイトルから想像したのは「特に何の取り柄もなく、つまらない自分と思ってちゃダメだよ、キミにしかない長所があるんだよ」ってな曲かと。陳腐な脳みそじゃ風氏の精神世界について行けないっす。泣

何と「望みや願いなど特にないと思うべし」という「足るを知る」がテーマの曲だった!なんちゅー画期的な曲!

あらゆる執着を手放し、期待したり囚われたりせずに、自分は満たされている、そのままで満足なのだと知ろう、と我々に呼びかける。

本音は、まだまだ割り切れてはいない。誰かに尻を叩いてほしい、本当は失くしたものを取り戻したい、誰か私に、あの愛を取り戻して欲しい。そして、あるがままの私でいたい。と、むしろ願いや期待を捨て切れない自分がいる。…それでも「渇きなどない、満たされてる」と胸を張って歩こう。傷ついたり腹を減らしたり、もうしたくないから。

最初、クラップかと思った音は、指パッチン(finger snapping)の音だった。そっか、もっと軽やかに、些細な“持てるもの”“足りているもの”を大切にしようと、風っちは伝えているんだね。

あのマーベル映画が思い浮かぶよね。指パッチンしたら…全宇宙の半数(!)が砂のように消えていく描写。映画館で自分が消されたような衝撃を受けたやつ。笑

心の中で指パッチンしたら、大切なものだけ残って、不要なものは砂となって風に飛ばされ消えていく。そんなイメージで、自分の執着や煩悩を吹き飛ばそうと語りかけてくれる曲。

 

8️⃣ 死ぬのがいいわ

この曲も、様々に受け止め方はあると思うが、俺には男女の掛け合いみたいに聴こえるんだよね。

『指切りげんまん…』ホラ吹いて針を飲まされるのは男の常。『鏡よ鏡よ…』と問いかけるのは女の常。そして『最後はあなたがいい』と願うのは、最後の恋人を求める女の常。『三度の飯よりあんた』と即物的な求め方をするのは男の常。相手をあなたと呼ぶ女と、あんたと呼ぶ男の心の声を表現しているように感じる。

同じ『おサラバするより死ぬのがいいわ』と歌いながら、そのココロは、最後の時に一緒にいたいと願う女と、毎日三度の飯よりあんたを抱いていたいと願う男とでは、遠く隔たっている。浮気の病も、失って初めて大切さに気づくというダサさも、きっと死ぬまで治らないんだろう。それでもあなたが大事なのよ、離れたくないのよ、と歌っている。

演出によってべらぼーにエロくなる曲でもある。願う愛の形が異なりながら、同じように求め合うというのは、かなりエロいなと俺は思う。浮つくのもやめて、ダサい後悔もやめて、最後の時まで一緒にいられるのだろうか…その女の願いは叶うのだろうか…と、男として反省を求められている気がする曲。

 

9️⃣ 風よ

タイトルに自分の名前を冠するのは、どんな気持ちなんだろう。と、最初思ったけれど、多分風っちにはそんな感覚は無いんだろうな。普通に、自然現象としての風にフォーカスしているだけ。それでも、ファンにとっては特別な曲。風を、藤井風その人に重ねて、彼こそが自分達を運んでくれる…と思わずにはいられない。

俺達も風に願う。どうぞ連れて行って。どうか手を離さないで。風が誘ってくれる世界について行きたい、と。流されて迷っていた我らでも、きっと或るべき場所を見出せる。その力を、“風”は持っている。

『宙に舞って 急に落ちて』の部分、キリがないからの『…子羊たち …月日は経ち』と双璧の韻!と思うくらい好きだ。さりげないけどカッコいい詞を生み出すよね。

 

🔟 さよならべいべ

この曲については、一考察を以前書いたので省略。7月1日に投稿した「🎵お元気ですか」の後半に書いております。

アルバムの中で随一のロックチューン、若々しさの溢れる曲。藤井風氏はまだ24歳なんだ、つい数年前に里庄から上京したばかりなんだ、と脳内で軌道修正できる曲でもある。だってGQの画像とか見てしまうと「この人何なん、もうわからんわからん!」って泣きたくなるんだもん。完全に世界的ミュージシャンの顔しててさ、里庄の末っ子どこ?になるんだもん。ハアァ…罪なお人じゃ。

 

1️⃣1️⃣ 帰ろう

↑11曲目の表記、iPhoneでは無理やった。すみません。

この曲に泣く人多数と聞く。俺自身、いつだったか高速道路を走りながら突然胸に迫り、1人きりでボロ泣きした。

美しいピアノの旋律の雲の向こうから光が射すように、天空からの声が響く。この声が出せる風っちに惚れ惚れするよ。まさに天界の声。

最後の刻に、我々はどうあるべきか。どんな在り方でその刻を迎えるのか。弱冠20歳ほどの風氏に教えられるけれど、それが全く嫌味なく、素直に魂に届く。風っちの魂の清らかさに包まれて。捻くれ者の俺でも、この真っ直ぐなメッセージには浄化され涙するしかない。

この曲の世界観を見事に描いたMVと共に、生涯心に在り続ける曲。

子供の頃は、毎日耳に届いていた5時の鐘だけど、オトナになるにつれ、もう聴こえなくなる。またね!と言って別れ、そして必ず明日は来た。別れを繰り返したけれど、明日の来ない日は無かった。ずっとずっと続く長い道だった。

その道にも終わりが来る。終わりに向かって、自分はどうあるべきなのか。怖いのは、何かを失うと思うから。失うものなど何もない、最初から何も持ってない。この世で手にした全ては与えられたもの。それを全部「ありがとう」とこの世に返して、何も持たずに帰ろう。

自分がいなくなった世界も、何ひとつ変わらず回っていく…この詞が書ける凄さよ。生きることは、自分をなくてはならない人にすること、誰かに惜しんでもらいたい、死後も愛してもらいたい…そんな我ら凡人の望みを、アッサリと粉砕する詞。何ひとつ変わらない世界を見下ろして安堵するという心持ち。藤井風500歳説が生まれるのも当然の達観、仙人のごとき死生観。

俺がボロ泣きしたのは『与えられるものこそ 与えられたもの ありがとう、って胸をはろう』の一節。何かを持っているとするなら、それは誰かに何かに与えられたもの。「俺のもんだ!」じゃなく「ありがとう」しかないよね。そのありがとうを全部全部返して、生まれた時と同じ丸裸で、帰ろう。苦しみも憎しみもあった人生だけど、わたしから忘れて、キレイな心になって帰ろう。

MVで、ひとりひとりが荷物を手放し、愛情を抱いた相手とも離れて、本当にひとりきりで歩いて行くのを見ていると、執着からの解放、その清々しさは厳しさと表裏一体だと思う。人の生死の厳しさを分かった上で、その厳しさごと人を包み込む温かさが、風氏にはある。自分よりも若い風っちの作る曲に、こんなに何もかも与えられている気がするなんて。

人生の伴奏曲のように、いつも胸の中で鳴り、何度でも涙するに違いない。そう思わせてくれる曲。藤井風氏の至高の一曲。この曲を得た2020年の記念碑となり得る名曲である。

 

『HEHN』のジャケットで、風氏は目を閉じている。目を閉じる時、人は自らの内側に集中している。このアルバムの曲は、どれも自分の内なる何かを歌っていると俺は思う。その何かが風氏の声となって俺自身の内側にも届き、そこで化学変化を起こす。自分自身を見つめ直す力となり、喜びとなり、涙となる。

ひとりのミュージシャンのデビューアルバム。あらゆる音楽が流れては消える世の中で、何という作品を生み出してくれたんだろう。まさに身を削ってくれたに違いない。このアルバムを聴くべき我々のために。

この世で与えられた、このアルバムに「ありがとう」しかないよ。本当に風っちを知ることができ、共鳴できる自分で良かった。ありがとう。

 

今さらもいいとこの感想文だったけれど、聴くほどに深まる音楽世界に圧倒された。凄いミュージシャン、アーティストだよな、本当に。いずれ出る2ndアルバムにも胸躍るけれども、このデビューアルバムは、いつまでもいつまでも黄金の輝きを放ち続ける。改めて『HEHN』に乾杯!!

 

以上、長々と申し訳ない。

でもね、書いてる間幸せだった。ホンマにありがとう!!

あ、遅れたけど、YouTube登録者数100万人!マジでおめでとう!!9月4日への見事な助走。ここから、今から。ステキな旅だね。