藤井風を語る真夜中

風という病に侵され…語らせたまえと願った。

『まつり』考察

脳みそがまつり色に染まって、やがて一日が経つ。数時間後には新たなリリパ・ショックが待っている。どうなるこのカラダ!😭

 

それにしても『まつり』が良すぎて。こんな神曲が次々生まれるのが、藤井風の音楽人生だよ。

本人の産みの苦しみはどれほどかと胸にズシンとくるんだけど。世の中に流行る曲には理由がある、魅力があると分かってはいるけれども、風っちの曲は次元が違う。レベチと安易に言うわけではなく、その曲が置かれている場所が違うのだと思う。

誤解を恐れず言うならば、風っちの曲は神の祭壇に置かれた曲。自分自身さえも共に捧げて供物として置かれた曲。これで少しでも、誰かが幸せになりますように。少しでも、より良く生きる支えになりますように。祈りを込めて置かれた供物なのだ。

 

リリパまで間がないけれど、ちょっと今しか書ける時がないかな?との思いで、『まつり』への一考察を記してみる。

今回は歌詞よりも映像を中心に感じたことを。

 

錦鯉が泳ぐ大きな池、今は冬枯れだが、季節が変われば緑が冴え渡る庭。遠くの山まで借景にできるほどの広大な敷地。

豊かさの象徴である庭園と大広間を持つ館に休む青年は、この贅沢な住まいの主でありながら、自ら雑巾掛けという雑用(実は雑用ではなく修養である)をする。その姿はserveする人。

続いて、きちんと上着を身につけて、修行として写経用の巻紙に向かう。(書いているのは、この曲の歌詞。うん、まさに写経だと思う)カラフルで自由な服を着ながら、内面的に自分を律する青年。

 

我々は本来、果てしないほど広く美しい庭と大広間を自分の裡(うち)に持っている。毎晩、たったひとり、大広間のど真ん中で寝ている。気づいてないけどさ。笑

自分は何もかも持っている。だが、やるべきことは、満ち足りた場所に住んでいると自覚し『愛し、仕える』ことだ。誰かのためにserveする気持ちと行動。愛する場所を雑巾掛けするように。奉仕することの意味は深い。

 

上着をきちんと身につけ、お客様あるいは友を出迎えに行く青年。

馬に乗って。

 

ここで、何で馬なん?🐴🐎と思った。

馬について調べてみたら、いくつか興味深い事柄があったので紹介しておくね。

 

俺の実家に、大きな将棋の駒に「馬」の字を左右逆に書いた置物があった。なんじゃコレ?と祖母に訊いたら「昔から馬は左側には寝ない倒れない、という言い伝えがある。だから倒れない、寝込まないという意味で、無病息災の縁起物になっているのよ」と。

もうひとつ「馬を逆に書くと、うま→まう。舞うということで、元々は神に奉納した舞いにも通じる縁起物となる」意味もあるらしい。

 

加えて、昔から「神馬(しんめ)」という言葉があるくらい、馬は神に近しい動物。我々も馬に乗っている人を見て自然に好感を抱く。馬上の風っちを見れば、無条件に「ひゃーカッコいい!」と思う。笑

大昔は供物にされていたこともあるが、実際の馬では大変過ぎるので「絵馬」という形に変化した。今も絵馬を奉納する人は多い。

 

また「精霊馬(しょうりょうま、又はしょうりょううま)」という、ナスやキュウリを馬(牛にも)に見立てる盆の飾りもある。ご先祖が早く帰って来てくれるよう、脚の速い馬を供えるのだ。

 

馬は、我々の意識の深いところで神仏と繋がっている。その馬に乗って人々の元へ向かう青年、その先に『まつり』があるのは当然なのだ。

元々、まつり(祭り)とは、感謝・祈り・慰霊のために神仏や先祖をまつる行為、儀式。

毎日を感謝し祈りをこめて過ごすならば、毎日が祭り。愛しき何かの祭り。

 

お客様に、お茶や菓子をserveする青年。みんなに仕えて、みんなも楽しそうだ。

 

一転して、青年の内面のもがきが表現される。激しく泣いたり大笑いしたり、環境や物事に一喜一憂しては振り回される自分。フラットな平常心を保っていたなら、苦しみのない、肩を落とすこともない人生に真っ直ぐに行けたのに。

でも今なら遅くはない、よっしゃ!と心を決めて、自分を励まして、そこへ行こうよ。

閉じた心をこじ開けて。こじ開ければ、心の中にあなたの祭りが咲く。

 

生まれゆくもの死にゆくもの、全ては自分とひと続き。時間も空間もひとつ。みんなを抱きしめ受け入れたら、安心して踊りなさいな。

 

祭りは死者のための祈りであり、同時に生者のための祈り。だから物悲しくもあり、愉快でもある。清らかで晴れやかで、どこか寂しく哀しい日本の祭り。それでも根底にあるのは「あれもこれもが有り難し」という感謝の思い。

 

自分で好きな祭りを選んで、好きに踊ればいい。

何にせよめでたい!(あなたの人生は祝福されている!)のだから。

 

このMVは、とある青年の日常の一日。日常であり祭りでもある一日の、朝から夜までを描いている。誰でもこのように美しい一日を送れるんだよと、優しく諭してくれる風っち。

 

我々の人生をまるっと認め、讃え、でも気づきにくいことに気づこう、と語りかけてくれる。

不足を数えない、他人と比べない、だって何もかも持ってるのだから。そう気づいたら、もっと自由に、楽になれるよ!と教えてくれる。

 

ゆるい曲調と歌い方、ダンス、まったりとした庭園や館の広がり。全てが聴く者の閉じた心を開く仕掛け。

和調を基本に、R&B、そしてちょっぴりファンク味も感じる。ああ、何て素晴らしい曲なんだろう。世界中の人に届けたい。聴かせてあげたい。この曲に込められた風っちの思いで、世界を包んであげたい。そうしないと勿体ない。

 

さあ『LASA』リリパまで3時間。

今夜はもうどげーなことになるやら。やら。

パーティ解散後に会えるんかな…そげーな気力体力が残っているやら。はあぁ。

 

ともかく、皆さま、っしゃ‼️🤣