藤井風を語る真夜中

風という病に侵され…語らせたまえと願った。

『旅日記』其の九

6月8日、今日も更新あり。ありがたし!

ランチのヴィーガン弁当を持つ風っち。日本でもベジタリアンヴィーガンの人が増えて、弁当も頼めるくらいになってるんだな。

野菜のおかずが盛り沢山な弁当、良かったね風っち!😄🍱

右手に掴んでるのは何なん?と思ったけど、どうも海苔を巻いたおにぎりに見えるな…。薄茶色のは経木っぽい。ご飯増し増しにする風っち、いいよね。

 

そして旅仲間の “運搬役” トランポチームを紹介してくれるずっずさん。

映画にもあったな、「トランスポーター」。あれはちょっと危険な “運び屋” 稼業だったけど。こっちのトランポさんも漢気あふれるカッコいい兄貴達って感じ。

1か月自宅に帰れないのか…千葉から愛知、大阪へ行き、次は東北岩手を経て北海道の帯広・札幌。そこから四国へ(陸路?フェリー?)香川・松山。人間の移動以上に、かなりのヘビーさ。本当にお疲れ様です!

皆さまの建て込みのおかげで、 at home な公演になってる模様。願わくばそのお仕事を、円盤で拝見できますように…🙏✨

ずっずさん、スタッフの方々をご紹介くださる意味、円盤化に繋がる匂わせ(いい意味の!)だと信じておりまする。😆

 

風っちの更新は、ちゃんと千葉県の形になるよう摘んで持った「チーバくん」(初めて見た)。

『かわいい。好き。』だってさ。

永遠に右向き(でいいのかな?)じゃないとヤバいチーバくん。舌のように見える部分が浦安市東京ディズニーランドのあるとこになるんだね。

こういうキャラって珍しい。地図の形を犬に見立てるとは。面白いな〜。

そして風っち、ツイッターのプロフィールを書き換えてた。『ベジタリアンです。ツアー中なのでご当地のかわいいものをツイートしています。』だってさ!あはははは

どっちがかわいいねん!🤣🤣

 

かわいいものと藤井風。なぜこんなに似合うのか。かわいいとかわいいが引き合うのか。旅日記を読みながら、ひたすら「あ〜かわいい(風っちが)」と呟くしかない俺がどうかなりそう。😂

 

 

松戸市森のホール21が燃え立っている頃、俺は映画館に。『東京2020オリンピック SIDE:A』を観てきた。

 

以下、⚠️ネタバレあり⚠️

回避したい人はここまでで。

(長文につき、あまりオススメしません)🥹

 

 

映画が始まるとすぐ、『君が代』を歌う風っちの声が流れる。

室内を動くような音、ピアノの蓋を開けるような音などがして、鼻歌のように君が代の歌唱が始まる。高々と朗々と厳粛に歌われる君が代とは、全く異なるひとつの歌。囁くように呟くように。日常の中に在る歌。

こんな『君が代』を初めて聴いた。風っちが歌うと、君が代は余計な思惑や一時期の残滓を脱ぎ捨てて、ひとつの軽やかな優しい歌になる。

あえて、あんな録音にしたんだろうな。生活上の雑音もそのまま入れて、ごく普通に、気張らずに。

球場や式典でしか歌われない歌ではなく、我々の隣にある歌でいいじゃないか?と。

 

君が代』は “詠み人知らず” とされる古今和歌集の一首であり、元々は恋の歌であったとも言われる。

古代日本語では「き」は男神・イザナキ(イザナギ)の「キ」、「み」は女神・イザナミの「ミ」であり、「キ・ミ=きみ=君」で男女を表すという。日本を造ったとされる男女の神、互いに思い合う男女が一体となった “世” を『君が代』と表現したという説を、俺は気に入っている。笑

昔昔の人々が、人間関係の最小単位を男女としたのは理解できる。男女という基礎単位の協力によって次の世代が生まれるのだから。

現代においては「君」を「あなたとわたし」と置き換えて、大切な人を思いながら、互いに支え合ってより良い世界が長く続くように願う歌だと考えたい。長寿と平安を祈る祝歌として、人を思う歌として、千年の間歌い継がれてきたように、次世代に繋げていけたらいいと思う。

 

さまざまな考え方はあるだろうが、俺は藤井風が、『君が代』を解放した、と思った。風っちによって、ようやくこの歌は裸の姿に戻れたのだと。

大袈裟だと笑われてもいいが、囁くように歌う風っちの声によって、我々は日常の中に『君が代』を取り戻したのだ。

 

途中、ピアノが聴こえる時間もあるが、決して “藤井風” の音を主張せず、ただ美しく端麗に画面に寄り添うのみ。

そしてエンドロールと共に『The sun and the moon』が流れてくる。

風っち自身によるであろう和訳の美しいことよ。心の海に、いつも詩の船を浮かべている人。豊かで柔らかい言葉のオールを操りながら、波に揺られるようでいて、高波にも負けない強さがある。

歌を聴きながら、詞を読みながら、エンドロールの名前を見る…無理だこりゃ。😂

でも Fujii Kaze の名前が2回(笑)そして風っちの次に Producer  Tomonori KAWAZU 、 Artist Management Mayuka KOBAYASHI の文字も。

(KAWAZUとKOBAYASHIは大文字表記)

 

このテーマ曲がリリースされないとしたら、あまりに勿体無い。歌詞にやられ、声にえぐられ、ピアノに脳天ブチ抜かれた俺が言う(笑)

頼むから、もっと聴かせてくれ。映画館に行ける時間は限られてる、どうかフルで聴かせてくれ!🙇

 

藤井風の仕事に、真摯で誠実でないものなんか無い。色んなことがある、理不尽もある、偏見に晒されることも。それでも、風っちの仕事=音楽は、一切を包み込んでいく。泥も汚れも荒れ狂う氾濫でさえ飲み込み、大海へと流れゆく大河のように。

残るのは一筋の流れ。大きく広く悠然と流れる大河。それが風っちの仕事だと思う。我々は近過ぎて気づかないが、空の上から見れば大きく長い河だと分かる。それを見ている存在があることを、風っちは知っているのだ。

映画に添えたはずの音楽が、映画を包み、観客を包み、我々をより高い場所へと導く。

 

ただただ風っちの音楽という観点のみで語っただけの感想。それ以外は、このブログの趣旨から離れてしまうので、お許しください。

 

藤井風の音楽が導いてくれるのは、光の方だ。その光を感じられる自分を幸せだと思う。