ずっずさん大河小説書き始めたん?と思った。
『私が初めて風を観たのは100人くらいが入るジャズバーでのライブ。』……一冊の本になる書き出しだよ。🥹
これこそ、愛しか感じられない世界。ずっずさんの愛の深さに泣ける。この人を引き寄せた藤井風…と今さらながら風っちの運命(天命)を思う。
アリーナツアーチケット抽選受付のお知らせと同じ日に。ハレーションじゃあぁぁぁ!! ツアーの申し込みは明日考える。😂
109歳て!!想像以上に高齢やった。あはははは!
そう実感するくらい、風っちの精神年齢はオトナなんやな。一番身近にいる人が「人間性(中身)は109歳」だと感じる25歳…。それが出会いの時から今も何も変わっていない、って。
そんな風っちを、大事に大事に、どんなカタチで世に出すか考え続け、もがき続けて。いわゆる戦略としての“どうやってヒット曲を生み出し人気スターにするか”ではなく。藤井風の本質を誤解なく世に届けるために。
『風を初めて観た』という書き方は、初めて会ったという意味ではなく、ステージに立つ表現者としての藤井風を初めて観客として観た、という意味だと受け取った。
その時から色々出来上がってた風っちだけど、109歳としての内面がそのまま出たら、人によっては誤解や無理解を生む。
まずはオリジナル曲をどう聴いてもらうかを考えたずっずさん。オリジナル曲の中に風っちの本質、全てがある。聴いてもらえたら解るはず。
TVの露出などは後回し、曲先行で世の中に。そのユルイほどの歩み、チルい売り方、今までの常識を超えた風っちの歩み。
ずっずさんに葛藤がなかったはずはない。これまでの成功体験だってある、芸能界の経験値に不足のない人が、全く違うやり方で、ただただ藤井風のためだけに。自分を造り変えるような4年間だったはずだ。凄い人。心から藤井風を認め尊重してるからこそ出来た。そのずっずさんの純粋さに泣けてくる。
そして風っちの比類なきクオリティは、世の評価を集めた。それでも焦ることなく、ゆっくりと世の中に浸透させていったずっずさん。ここぞというタイミングでは大博打も打ちながら。あはは!
風っちが凄いから。ずっずさんが凄いから。2人だからこそ。この2人の凄さを、俺はもっともっと知らなくては。感じなくては。
それでいて、赤ちゃんだよ。😆
あーーもう可愛い!! Loppi と ATM!カードが入らない時点で気づかないほど赤ちゃん!あはははは🤣
コンビニ入口でモジモジて。(目に浮かぶ)
日常の中で【ちょいちょい】ある、『本当に何も知らない』赤ちゃんな風っち。🥹🥹
こんないたいけな赤ちゃんが……あのスタジアムで妖艶なパフォーマンス見せた人と同一人物。どないなっとん!!(頭が破裂する)
ずっずさんも『その落差もやばいのです。』だと。
日々のご苦労、お察しいたします。しかし、だからこその風沼。こんな可愛い赤ちゃんを放っては置けない。手のかかる子ほど可愛いという、それはおそらく真実。
俺たちの多くも、その落差・ギャップに絡め取られた実感あり。こんな振り切れた魅力に満ちた人いないよ。どっちもMAXなんだもん、だって109歳と赤ちゃんだよ。こんな振り幅ある?!!
その魅力を一番理解し、惚れ込んでるのがずっずさんだし、風っちを知った仕事仲間の皆さまであると思う。チーム風は、大きくなっていくばかり。風っちと仕事して惚れない人なんていないやろ。俺も仕事したい風っちと!!(無理)
パナスタ日記のはずなのに。まだPart.2なのに。ずっずさん、風っち愛の発露になってる。無理もないけど。笑
風っちの気持ちは『今現在、歌えることは歌い切った』というものだと。
う……ん、風っち、1stアルバムを出した後に燃え尽き症候群みたいになったと言ってたよね。その時のような感覚になるのかも知れないな。
でも、俺はまだまだ風っちの曲を聴きたい。まだまだ新曲が欲しい。まだまだ描くべき世界、我々に届けてほしい世界があると信じてる。
それもこれも、風っちの思いのままでいいけれど。自由な風っちとして、これからも曲を作ってくれるなら幸せだ。のんびり待つよ。
インドには生まれる前にも行ってたんだねー!そして家族で行ったと。そうなんだ。母上との2人旅だったと勘違いしてた。
インドの聖人の祝福を受けた風っち。浄らかな魂で受け止め、その祝福を世界中に届けようと生きているような風っち。
『grace』のMVが明るい光に満ち、輝いてるように見えるのは、みんなを祝福してるからなんだね。みんな凄いよ、みんなステキだよ、と。
ずっずさん、大長編diaryでも大河小説でもいいから、俺らに知らしめたいことを教えてください。fansとして受け止めたいので。
ずっずさんの目線の万分の一でもいいから、間違わずに風っちを見つめて行きたい。
今回も本当にありがとうございました!