言葉遊びかも知れないけれど、『てばなす』には『手離す』と『手放す』がある。
自分の手を離してサヨナラすることと、自分の手から放って送り出すこと、自由になること。
モノを失くした時「ワシの中に入ったんや」と考える人。ならば役目を果たしたものを手から放って、自分の中に納めてしまおうと考えるのは必然。
みんなの思い出。みんなの喜び。幸せな時間をシェアしてくれた無邪気な人。
だけどいつからか辛いことも増えた。人の気持ちに鈍感ではいられない人に、私は右だ、私は左だ、上だ下だ、西だ東だと、あちらを立てればこちらが立たず、、、という声が届くようになる。
どうすりゃいいん。みんな大切なのに。誰ひとり取り残したくない、傷つけたくないのに。
発信すると誰かは喜び、誰かは泣く。発信を続ける限り、同じことが繰り返される。
だからもう、いいよね。大切な場所だったけれど手放して、透明な自分になるね。
みんなを愛してる。だから今手放すよ。
苦しんでもがいて悩んで決めた心を、丸ごと受け止めよう。
一部ではなくみんなが大切だからの結論なんだ。
ファンは辛くて寂しくてショックを受けて泣いてる。同じ痛みを感じてるのは誰よりも彼自身。それでもみんなのために、透明になることを選んだ。
優しいからこそ。
強いからこそ。
自分の責任において、批判も嘆きも覚悟で。優しさゆえの強さでファンの全てを受け止めてくれる。
負けるなみんな!
我らはあのおっきなおっきな揺るぎない胸に包まれてる、紛れもなく。
過ぎた全ては我々の中に入った。
風は私。私は風。そうなったことを知る時だ。
さあ、これからを見つめよう!!